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『命綱』

『命綱』

2018/11:STORY
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 イギリスの話を何人かで始めると、早々にイギリスの食事について話していることが多い。残念ながらほぼ不味いということに落ち着く。私が学生の頃に語学研修でコルチェスターに4週間滞在した1987年はどうだったか。美味いか不味いかでいったら不味かった。いや、実際には食べられないことはなかったが、不味いというよりは、次はもういいやとか2度目はないなというものが多かった。結局それが不味いということになるのだろうが・・・。
 その4週間の滞在時に朝食やランチに何を食べていたのかは思い出せない。研修先の大学のキャンパス内で適当に済ませていたのだろう。
モームが言ったという“イギリスで美味しい食事をしたければ、1日3回朝食をとればいい”もフル・ブレックファストも19歳の私は知らなかった。フル・ブレックファストを予め知った上で渡英していたらイギリスの食べものに対する印象は多少好転していたかもしれない。しかし、モームが言ったこともフル・ブレックファストも知ったのはそれから数十年の時を経たあとのことだった。
 夕食はキャンパス内のカフェテリアやパブ、コルチェスターの町中、週末は出かけて行ったロンドンで食べていた。外食としたものはインド料理と中華料理が主だった。インド料理は美味しかったが学生には高かった記憶がある。中華料理はスープヌードルがぬるくてビックリさせられたというレベルだった。せっかくの中華料理もがっかりさせられた上に安くはなく、学生の身には経済的なダメージも被ることが少なくなかった。
 日本でマクドナルドへ行く感覚でWimpyにも行かなかった。美味しくないということに加えて行かないほうがよいと思ってしまうほどの評判をいろいろと事前に聞いていたからだ。いや、その前にその屋号に躊躇させられたのかもしれない。町中で手軽に買えたフィッシュ&チップスがハンバーガーの代わりにもなってくれた。
 このくらいならと学生の自分なりの基準である程度安心できたのはパブでの食事とやはり町中のフィッシュ&チップスだった。パブではその滞在中に美味しさを知ったヨークシャーのビールJohn Smith’sを飲みながらキドニーパイやミートパイをよく食べた。炭水化物は主にフィッシュ&チップスのチップスで摂っていたことになる。
 大学のあるコルチェスターに4週間滞在したうちの1週間はホームステイだった。お世話になったお家で朝食をいただいた記憶がない。当時日本でも普段朝食はほとんど食べなかったので最初に断ったのだろう。ホームステイ初日に好きな飲みものを訊かれた。イギリスだしと思いミルクティーと答えた。そのときはしっかりとtea with milkと言えたはずだ。
夕食でドライカレーが出てきた際に一緒に用意してくれた飲みものは温かいミルクティーだった。ドライカレーに温かいミルクティーという日本では絶対にしない組み合わせに驚いた。温かいミルクティーではドライカレーがなかなか喉を通らなかった。イギリスでは面白い食べ合わせをするのだなと思ったと同時に、大変失礼ながらしばらく続くイギリスでの食生活に少々不安を覚えた。一般家庭に滞在しなければ経験できなかった貴重な経験ではあるのだが・・・。インドについては詳しくないが、チャイにカレーという組み合わせはあるのだろうか。


私が書くイギリスの話に度々出てくるコルチェスター。イギリスのどこにあるのだろうと思っているトラベラー各位も多いのではと思い、ロンドンからの距離が分かる地図を載せて見ました。
電車でかかる時間が併記されています。時間が異なるのは停まらない駅が時間帯によってあるためだと思われます。コルチェスターの位置がイメージできたでしょうか。




 日本食があるじゃないかという声が聞こえてきそうだが、イギリス滞在中は全く日本食を食べなかった。箸を使う際に使う筋肉とナイフ・フォークを使う際に使う筋肉は異なり、ナイフ・フォークを使う筋肉を使った際に受ける脳の刺激は英語を話すさいに使う脳にいい刺激を与えると勝手に信じていたからだった。英語を身につけるために来ている以上そのあたりも留意しなければと思っていた。ロンドンまで出て行かなければ日本食を食べられるところはなかったし、きっと高いに決まっていると思っていたので、日本食ははなから頭になかった。実際にとんかつをロンドンで食べたというクラスメイト達がいたが、あまり羨ましく思わなかった。
 食糧事情といっては大袈裟だが、異国でのそんな食生活で当時19歳から20歳になろうとしていた自分の胃袋をどんな食べもので落ち着かせていたのか思い起こしてみた。それはチョコレートだった。外国のチョコレートというと、日本人に一番馴染み深いのはハワイのマカダミアナッツのチョコレートだろう。お土産でいただき、自分がハワイを訪れた際もお土産にすることが少なくない定番だ。
 トラベラー各位はアメリカのReese’sというブランドのピーナッツバターのチョコレートをご存知だろうか。オレンジ色のパッケージで丸い形をしたチョコレートだ。このチョコレートには社会に出てから出逢った。普段日本にいるときは思い出したり食べたくなったりは全くなかったのだが、出張でミネアポリスの空港に降り立つ度に思い出して食べたくなった。アメリカなら比較的にどこででも手に入りやすいものでホテル内の売店などでよく購入した。帰国時にも空港で搭乗直前にいくつか買って持ち帰ったこともある。しかし、日本で食べるとよくこんな甘いものをと思ってすぐに飽きてしまった。決して不味くはないのだがとてもアメリカらしい日本では考えられない風味のチョコレートであった。
 1987年のイギリス・コルチェスターでお腹の足しになってくれたチョコレートはLiON Barだった。果たして私はどのくらい食べていたのか。帰国して一緒に研修を受けた仲間たちに大学のキャンパスや学食で会って研修のときの話になると、「いつもチョコレートを食べていたよね〜」といわれるくらいだった。自分ではそんなに食べていた意識はなかった。しかし、当時の写真を時系列で追って見ていくと日を追うごとに頬に「張り」が出てきているのが分かる。結構食べていたのだ。イギリスは食事が美味しくないので外国人は痩せるということが多いみたいだか、私の場合はそうでもなかったようだ。登山で遭難した人がリュックサックに入っていたチョコレートで救われたということを聞いたことがある。かなり大袈裟な例えとなるが、イギリスで食べものに遭難した私をチョコレートが命綱となって救ってくれたのかもしれない。
 イギリスを訪れたことがあるトラベラーならLiON Barを一つか二つ食べたことがあるのではと察する。これを読みながら、ああ、あれかと膝を打ったトラベラーもいらっしゃるだろう。キャンパス内のいわゆる生協的なところや駅の売店、町中のスーパーやシガレットスタンドなどにも置いてあったと記憶している。


これがLiON Barです。2012年にロンドンを再訪した際に購入して持ち帰りました。
1987年当時とはロゴが多少変わった気がしました。”O”の上に見慣れた企業のロゴが見えませんか? それでは続きをどうぞ・・・。




 LiON Barはずっとイギリスのチョコレートだと思っていた。ロンドンを2012年に再訪した際に買ったものを見てみると、ある企業の見慣れたロゴがパッケージにあった。輸入品だったのかと思いがっかりした。
でも、ヨーロッパの企業なのでまあいいかといくらか思い直した。
 そこでLiON Barに関してちょっと調べてみた。もともとはイギリスのオリジナルだったが、1980年代終盤にその大企業が買収したそうだ。私がLiON Barをよく手にしていたのは1987年だったが、きっと買収直後でコルチェスターやロンドンに出回っているものにはまだその企業のロゴはパッケージに入っていなかったのだろう。だからイギリスのチョコレートとずっと信じていたのだった。私が食べていたものの他に数種類あるそうなので、再訪の際は全種類チェックしてみようと思っている。気に入ったフレーバーがあればきっといくつか持ち帰るに違いない。
 コルチェスターから電車でロンドンに出る場合、電車はリバプール・ストリート駅に着く。改札を抜けて表に出る前に売店で必ずLiON Barをひとつ買って食べながらロンドンを歩いたことを覚えている。そのせいか、買った場所の中でいまでもはっきり記憶に残っているのはリバプール・ストリート駅の売店だ。このチョコレートのことを思い出すと駅の売店の景色が甦ってくる。
 社会に出てから自分の力では到底抗えない厳しい目に何度も遭ってきた。チョコレートを命綱として英語の本場イギリスで4週間過ごして身につけた英語が、現在に至るまで完全失業しないための命綱になってくれている。



追記:
1.ロンドンを2012年に再訪したときにLiON Barを一つ持ち帰りました。
早々にこの話を書いて食べてしまおうと思っていました。
しかし、冷蔵庫の中で5年過ぎていました。
パッケージを開けて食べてみる勇気はちょっとないです(苦笑)。




2.同じロンドン再訪で様々な経験した話はそれぞれ以下のタイトルで書いてここに掲載していただいています。未読の方はどうぞご笑覧ください。

「再会・4」
「本を読んで・3」
「3,000円のベーグル」
「レコードジャケットに想いを馳せて」
「右肘、左肘・・・?」
「Chinatown(旅先で食べたもの・5)」
「旅先で食べたもの・8」
「訪れたら証?」




「おとなの青春旅行」講談社現代新書