

『Kaohsiung』
前作「遠出・5」を投稿し、ホッとしていると衝撃的なニュースが飛び込んで来た。2014年8月1日、台湾の・高雄で大きなガス爆発があった。市街地で起こったその大爆発は、報道によると25人の死者を出したとのことだ。
爆発が起き、被害が及んだ地理的な場所は定かではないが、恐らく何度も通ったところだと思う。
航空会社に勤めていた1999年に大阪-高雄の新路線就航に伴い、機内食の準備と搭載を任せる会社の選定から始まり、就航日に無事第一便を送り出すまで、何度も高雄を訪れた。
高雄での宿泊先はGrand Hi Lai Hotel。漢字の表記は漢来大飯店だ。
同じ宿泊先への投宿が続くと、不思議なもので、ここはその土地の自分の別宅なのではないかと思えて来る。ここもそんな感覚になったところだった。
この話を書くに当たってホテルのウェブサイトをチェックしてみた。
そこに掲載されている数々の写真を見て当時の記憶がさらに甦って来た。興味のある方はホテル名から検索してチェックしていただきたい。
スーツケースに残っているGrand Hi Lai Hotel / 漢来大飯店 のステッカーです。
懐かしい・・・。
車の往来が激しい大きな通りを挟んでホテルの向かいにスターバッグスがあった(現在の所在は不明)。
ここは白い二階建ての建物で、港町にあるような小洒落た雰囲気が素敵なスターバックスだった。高雄は港町なので街並に合わせたのだろう。ビルの中に入っている店舗と異なり、その建物全てがスターバックスだった。床はフローリングで階段も木製だったと記憶している。
訪れた思い出に買ったタンブラーは、今でもお気に入りの一つである。
写真左が当時(1999年)高雄で購入したタンブラーです。
右は2007年に台北で購入した高雄のものです。
どちらが好きかは分かれるところだと思います。
1999年に買ったもののほうが趣も個性もあり気に入っています。
本体をグルリと回しながら楽しめる風景画がいい味を出しています。
スターバックスのタンブラーは訪れた都市のものをたくさん持っていますが、
その中でもこれはお気に入りの一つです。
コーヒーを飲まずに、自分がその都市を訪れた記念として、または友人へのお土産として、タンブラーを買うためにだけ旅先でスターバックスに寄るようになって何年にもなります。
ホテルの並びに、牛肉麺を食べさせるお店が一軒あった。ホテルが出来る随分前からこの土地で開業していたと思わせる雰囲気のあるお店だった。ここは台北の友人であるJohnny(「口約束・1」に登場)が勧めてくれたお店だったと思う。その通りから一本入ると台湾にいるのだなと感じさせてくれる街並が目の前に広がる。その街角に、これも昔ながらの・・・という表現がピッタリの牛肉麺のお店があった。こちらのほうは本当に現地の人しか訪れない雰囲気のお店だった。
夜遅くまで営業していたので、明日からこの高雄で仕事だ・・・とか、一仕事終わった・・・と気分を切り替える際によく訪れた。目と鼻の先に、その街を代表する国際的なホテルが聳えているのに、ほとんど英語が通じない、その土地にいることを感じさせてくれるそのお店が大好きだった。そのお店に限らず、トラベラー各位もお感じになったと察するが、台湾には訪れた者をホッとさせてくれるお店が多いと思う。
スターバックスとその牛肉麺のお店二軒には本当に上手く気分転換させて貰い、また慌ただしい日程の中で旅先に居ることを実感させて貰った。
高雄にあるJohnnyに勧められた牛肉麺のお店のカード(左)と台北の友人が最近台北で食べた牛肉麺(右)です。
このお店はまだ存在しているようです。
写真の台北の牛肉麺は少々小綺麗ですが、現地の牛肉麺のイメージが湧きましたでしょうか。
1日の仕事が終わった後に取引先の副社長のLinさんが何度か連れて行ってくれたマッサージのお店も、高雄での仕事と同じくらい、高雄の思い出として記憶に残っている。
どんなところだったかは「リラックス・3」をご笑覧の上ご想像いただきたい。
ここは現在も存在しているか否かはわかりませんでした。
大きくて立派な店構えでしたが、現地の人と行かないと、言葉の問題等少々大変なのではと当時思いました。
どことなく安っぽい香水の匂いがしたこのカード、15年近く経った現在でもまだ匂いが残っていました(笑)。
ここで携わった大阪-高雄の新路線就航に伴う機内食会社の選定から始まって機内食のオペレーションを軌道に乗せる仕事は、今でも思い出に残る仕事の一つである。自分で初めてリーダーシップを取って、周りに認めて貰えた航空会社らしい仕事の一つだった。
現地の上層部と長年の付き合いから話が出来上がっていたようで、選ばれることに余裕を見せていた老舗のB社より、当時割と新興の部類に入っていた航空会社の傘下にあったA社を私は推した。B社はその余裕のようなものが油断に繋がったのか、衛生面に少々難があった。その他にも不安材料がいくつもあった。A社の衛生面は全く問題がなく、物事の進め方がとてもスマートであった。シェフも兼ねていたアジア全体の品質管理の責任者である大先輩も、実際に高雄まで足を運んで隅々までチェックした上でA社を推してくれた。実際にこちらの要求通りのものと、こういったものも作って出せるというものをプレゼンテーションして貰った際に、「ここは美味しいね、Tさん(私の本名)。」と言って下さったときの表情は今でも覚えている。その表情から「ここは見てくれだけじゃないね」という意味が汲み取れた。
「リラックス・2」に登場している、本社から来たあの仕事にとても厳しかったJerryが、最後の最後に高雄までチェックに来てくれた。その時点では既に何度も会い、仕事も各地で一緒にしていたとはいえ、「こんなスムーズなスタートアップは今まで経験したことはなかったよ。」と言ってくれたのは本当に嬉しかった。アメリカ人の女性の上司もとても喜んでくれた。
前述のJohnnyとその相棒であるVincentも台北にいながらいろいろと協力してくれた。人脈が活きるとこんなにも効力を発揮するのかということを学ばせて貰った。今現在も続いている友情に感謝したい。
最初から最後まで業務そのものに一緒に携わった会社の大先輩であったEstherと、臨機応変に台北と高雄を行き来する際のフライトの予約やホテルの予約を現地で一手に引き受けてくれ、こちらも会社の大先輩であり、そのEstherの秘書であったSabrinaの二人にはいくら感謝しても足りない程であった。今でも親交があるこの二人は「旅先で食べたもの・1」に登場しているので一読いただければ幸いである。
就航初日に無事第一便が出た後で、ホテルでお祝いのパーティーが行われた。会場は現地の一面識もない同僚達や外部から招かれた方々で溢れていた。根っからの裏方なのでこういう場所は好きではない。せっかく大仕事から解放されたのだから、ちょっとでも街を歩いたり、バーに行ったりしたかった。
宴も酣な頃に記念品を貰ってさっさと会場を後にした。日本においても、台湾においても、このプロジェクトに(特に私に)協力していただいた方々の分までその記念品を入手したのは言うまでもない。
これがパーティー会場で出席者に配られて、協力して下さった方々の分も小脇に抱えて持つほどガッツリと頂いた記念品です。
左側頭部・・・?に刺繍されている文字が記念の印です。
日本から見ると大阪-高雄線就航ですが、台湾から見ると高雄-大阪線就航になるので高雄が先に表記されています。
” inaugural “ と “ inauguration “ という単語を覚え頻繁に使ったのは、これまでの人生ではこの時期だったのではと思います。
ガス爆発で大変な目に遭った方々の中に、顔は覚えていないが、お店で顔を合わせて言葉を交わした人々、お世話になったホテルのスタッフ、その方々の身内や友人がいないことをこの話を書きながら切に思った。
この話が掲載されたとしたら、台北と台中でのトラベラーズノートのイベントが成功裏に終わり、その模様が伝えられている頃だろう。次回も台湾でイベントを開催する計画が持ち上がったなら、是非高雄も開催地の一つに加えて欲しい。高雄にもユーザーはたくさんいるはずだし、各国のユーザーやトラベラー各位にも、イベントへの参加をきっかけの一つにして、是非一度高雄を訪れて、台北とは一味違う台湾を味わっていただきたい。
何度も訪れたところではあるが、私も再訪のチャンスが訪れたら一つだけ是非実現させたいことがある。それは観光だ。