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『デビュー 40周年』

『デビュー 40周年』

2013/12:STORY
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 「デビュー」を書いて掲載していただいたのが、2008年。今日まで旅の話を7年近くも書いていると、ありがたいことに、以前書いたものの続編的なものも書けるようになった。
 初めてパスポートを手にしたのは、1973年12月。このストーリーがもし掲載されれば、ちょうどその頃に初めてパスポートを携えて旅をしてから40年経ったことになる。40年・・・その数字をしばらく眺めても、呟いてみてもズシリとくる時間だ。
 一日食事に訪れた母宅で、「これ、長い旅に出ていたみたい・・・。」と、
母が私の初めてのパスポートを差し出した。現在のものより一回り大きく、紺地に金色の文字が40年経っているとは思えないほど眩しかった。
 そのパスポートを手に取り、中を見るのは、恐らく30数年振りだろう。当時既に有効期限が切れていたが、小学校に持って行って、社会科の時間に先生がクラスのみんなに私のそのパスポートを見せながら、パスポートとは何かを説明した・・・それがそのパスポートを手にした直近の記憶だ。先生も含めて、クラスでパスポートを持っていたのは私だけだった。
 ここまで書いて、私の書くストーリーに度々登場する(「旅の必需品」「リラックス・2」「リラックス・3」)、今はテネシーに住んでいるリチャードの話を思い出した。当時小学生だった娘さんのヘイリーちゃんのクラスへリチャードが訪れた国々の話をしに行ったときの話だ。私と一緒に働いていた頃で、当時リチャードは家族でミネソタに住んでいた。
 既にアジア各所を仕事で一緒に回っていたので、パスポートに捺されたスタンプの数と同じくらいリチャードも話題は豊富だったのだろう。
台北と高雄で受けたマッサージの話をしたかどうかは聞かなかったが・・・。日本好き・アジア好きの本領発揮で、割り箸をクラス全員に配り、箸の使い方のレクチャーまでしたそうだ。そのときの話で今でも覚えているのは、そのクラスでパスポートを持っている父兄はリチャードだけだったということだ。
当時我々が勤めていた全米屈指の航空会社のその本社と、その航空会社のハブ空港があった都市にある小学校での、今から10数年前の話である。

 2013年の今、改めて40年前のパスポートを見てみると面白い。
まだ幼かったので、署名は母の代筆。ドルの現金での持ち出し申請(そのパスポートでハワイに行ったので)。アメリカ入国のビザ。当時はまだ成田空港は無く、羽田空港から出国したため、羽田での出入国スタンプ等。パスポートのページを繰っていると、有楽町の交通会館で受けた、本当に痛かった注射の痛みが甦ってきた。「デビュー」にも書いたが、当時ハワイに行くには、伝染病等に感染しないように、注射が義務づけられていた・・・と言っても、若いトラベラー達には理解してもらえないだろう。ハワイに行くのに予防注射なんて理解の前に信用してもらえないかもしれない。本当の話なのだが・・・。


これが私の初代パスポート。現在のものより一回り大きいです。
“数次旅券”と “ PASSPORT OF JAPAN ” の表現が時代を感じさせます。
ダイモで名前を(写真では頭文字以外消しました)アルファベットで打って貼ったのは、当時の旅行代理店のアイディアだったのでしょうか(笑)。



白黒の証明写真と“母代筆” “ by mother “(何故か筆記体) の記載が時代を感じます(笑)。
写真は当時駅前の写真館へ行って撮りました。



出入国カードの名残と出入国のスタンプ。
当時は都度出入国審査官が署名していたようです。
日付と記述の表現に時代を感じます。
・・・10日間もハワイに行っていたんだなあ、それも年末年始に(笑)。



現金の持ち出しについての記載。
五歳の子が当時のレートで3,000ドルも現金を持って出国できたなんて(笑)。
クレジットカードなんて日本人にはまだまだ普及してない頃でしょうから、両親が私の枠も使ったのでしょう。



アメリカのビザと緑色で微かに見える入国のスタンプ。
40年前にアメリカは既に複数色のスタンプを使っていたのですね。
緑の入国スタンプは、私が頻繁にアメリカに行くようになった頃は色が赤に変わっていました。
昔は緑だったのですね。




 この旅から次の海外への旅まで約10年開く。そこから約10年数年後、仕事で海外へ頻繁に出て行く生活が始まった。現在は仕事で旅に出ることはほとんどないが、今日まで何度もパスポートを更新したり、増刷したりして旅をしてきた。


今まで一緒に旅をしてきたパスポート達。
初代パスポートと写真にある赤い表紙のものの間に、もう一冊赤い表紙のものがあるはずですが、
現在行方不明です(笑)
この赤いパスポートの使用中に、時代は有効期限が10年のものか、5年のものかを選べるようになりました。
当時赤いパスポートと同じ大きさで片手に収まるビデオカメラが、パスポートサイズとしてあるメーカーから大々的に売り出されていました。パスポートが一回り小さくなったときに、その変更にはすぐに対応出来なかったと記憶しています。
デジカメの登場と普及はまだまだ先のことで、当時は使い捨てカメラをよく使っていたことを覚えています。
写真の赤いパスポートの表紙の擦れ具合からみて、このパスポートの有効期限中から旅の多い生活が始まったのでしょう。


 
一番愛着があり、一緒に旅をしたパスポートはこれです。
表紙の文字は消えかかり、増刷もしています。右の写真の右半分が増刷分です。
このストーリーを書く上で久々に中を見ましたが、証明写真が消えかかっていました。
ビザで1ページ使われてしまうのも増刷が必要になった一因でしょう。



現在は帰りの航空券があれば不要ですが、台湾へ行くにはビザが必要な時代もありました。

 
中国を頻繁に訪れていたときは北京からの入国と上海からの入国ではルールが異なりました。
左の写真はどちらからでも入国できたビザで、右は上海からのみ一回だけの入国に有効なビザ。
上海のほうは入国審査の前後に現金でUSドルで30ドル払って発行してもらいました。


 
深夜に到着したシンガポールで、入国審査官に「好きなところにスタンプを捺しますから、好きなページを開いて下さい」と言われたのもこのパスポートのときでした。
ホチキスで留められている出入国カードの名残も時代を感じます。
しかし、出入りが激しかったなあ(笑)。



 過去のパスポートを久し振りに手にしたので、今まで仕事や休暇等で訪れた国や都市を列挙してみた。
ハワイ、グアム、イタリア、スイス、フランス、イギリス、
ドイツ・・・当時は西ドイツだった。これも若いトラベラー達には “?”かも知れない。ベルリンの壁崩壊前だったので・・・。
ニューヨーク、ロサンゼルス、ミネアポリス、デトロイト、シカゴ、オランダ、香港、ソウル、台北、高雄、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、マニラ、サイパン、ジャカルタ、ワシントン、ホーチミン、チェンマイ、北京、上海、マカオ・・・乗り継ぎだけで降り立ったところも加えると、サンフランシスコ、シアトル、ボストン。
仕事でソウル日帰りなんていうのもあった。
複数回訪れているところも多いので、結構な回数になるだろう。
 パスポートを10年間有効のものにしないで、敢えて5年間有効のものにしているのは、写真で自分の経年変化が楽しめるからだ。それから、手元にパスポートがこのようにた増えていくのもこれまた楽しい。
 この年末年始も、国内外を問わず旅に出るトラベラーが沢山いらっしゃることだろう。各位にとって、その旅が思い出深い旅になることを切に願う。トラベラーとしての41年目、これからもいい旅をどんどん続けたい。
トラベラー各位、どうぞよいお年を、そして、よい旅を。
今後も旅の話をどんどん書き続けますので、来年も掲載されたら読んで下さいね(笑)。