

『デビュー』
最近何故だか「デビュー」という言葉に物凄く嫌悪を覚える。何かを新たに始めた時、未経験だったことを体験した時に若い子が「わたし、デビューしちゃったぁ~」なんて電車の中等で話しているのを耳にしたり、テレビで目にしたりした時、何だかとても腹が立つ。さらに、Vサインをしながらそう言ってるのを見てしまうと喰らわせたい衝動に駆られる。何故だかよく分からないけど・・・。
燃料費高騰で、未だにその仕組みがよく分からない、航空機を利用する際の「燃料サーチャージ」も相変わらず高い。別途燃料サーチャージを徴収しているのだから航空運賃は下がって然るべきなのに下がらない。航空運賃に占める燃料費っていったいいくらになるのだろうという疑問が消えない。
燃料サーチャージをどっさり徴収されたとしても、この年末年始も多くの人が海外へ行き、こんな状況の中で海外旅行の「デビュー」を飾る人もたくさんいるのだろう。
僕の海外旅行デビューは5歳の時に両親に連れて行って貰ったハワイだった。当時成田空港はまだ開港しておらず、羽田空港から出発した。本当の東京国際空港だ。パスポートのための写真を撮りに母に連れられて近所の写真館へ行ったことは今でも覚えている。4つ下の弟は母とともに一枚の写真に収まっていた。パスポートも僕は単独で一冊持ったが、母と弟は二人で一冊だった。表紙の色は今の5年用のものよりももっと青く大きさも一回り大きかった。信じられないかもしれないが、当時ハワイへ行くには出発前に伝染病(多分)の予防接種が義務付けられていた。雨の日に行った有楽町の交通会館のクリニックで受けた注射が痛かったことも今でもしっかり覚えている。
当時幼稚園の年長組と幼かった僕は、ハワイに行くと言っても、時期が年末年始だったので「飛行機に乗って、冬でもプールと海に入れるところに行く」という感覚しかなかったと思う。
飛行機を降りるとそこは夏だったのには本当に驚いた。匂いも日本とは違い何だかいい匂いがした。その後ハワイには何度か訪れることにるのだが、この幼児体験で僕の中にすり込まれた匂いの記憶が、空港に降り立つ度に自分がハワイに来たことを自覚させてくれる。ワイキキ・ビーチで撮った砂に埋もれて首だけ出している写真は今でも手元にある。観光でキラウエア火山に行き溶岩が固まったものを拾って持ち帰り幼稚園に持って行った。叔母へあげるためにホテルの部屋から見えたダイアモンドヘッドをクレヨンで書いた。当時は布団で寝ていたのでベッドで寝起きしたのはこの旅が初めてであった。13年前に亡くなった父が英語を話しているのを見たのはこの旅が初めてでかなりびっくりした。振り返ってみると英会話のデビューも、デビューというとかなり大げさだか、この旅だったと思う。父に教わった通りに言葉を発して握り締めていた小銭を出してポテトを一つ買った。買った場所はマクドナルドではなく、Jack In The Boxだった。Jack InThe Boxが「びっくり箱」という意味でハンバーガー屋なのに随分面白い屋号だなと思ったのはこの旅からさらにずっと先の事だ。
ハワイと聞くとやはりこの旅の事が思い出される。一年に一度ハワイに行くことを楽しみに働き、亡くなる前までほぼ毎年ハワイを訪れていた父が亡くなってからは余計に思い出される。今のハワイは熱海や伊豆と同じ感覚で行くことが出来る手軽な場所になってしまった。外国に行くという緊張感が薄くなってしまった場所になったように思う。ワイキキ通りも銀座の街並みにドーンと海岸がある景色になって久しい。iPodに何曲もハワイアンを入れたり、古き良き時代のハワイの絵葉書等を見つけるとつい手に入れてしまうのは、この旅で僕の中にすり込まれた幼児体験と父との思い出のためだろう。
この旅から17年後大学を出て僕が社会人「デビュー」したのはこの旅で初めて乗った国際線の航空会社だった。この時僕はおろか、亡き父も一緒に行った母も祖母も僕が皆で乗ってきた飛行機の会社に将来勤めるなんてこれっぽっちも思わなかった。