

『日帰りで・・・』
終わらない断捨離で様々な外貨が出てきた。こんなに溜まっていたのかというコインの量に驚いた。いや、日本で使えなくてもお金だから「貯まっていた」と書くべきか。
5歳のときの家族旅行のハワイでジャック・イン・ザ・ボックスへポテトを一人で買いに行った。そこで初めてUSドルを使ったのが外貨との出逢いだった。
航空会社に勤めている間に3年ほど機内販売の免税品の売り上げの管理をした。1990年代前半のアジア路線の機内では、USドルに加えアジアの各降機地の通貨をコインも含めて現金でも受けていた。フィリピンペソと中国元は不可だった。
約3年週5日乗務員から受け取った外貨に触れていた。その後アジア内の機内食を管轄する部署へ異動した。海外出張が多くなった。出張先で現金が必要な場面では、都度紙幣を崩すことなく端数をコインで合わせられるほど各国の通貨を使いこなせていた。
月に少なくとも二度の出張といえば海外という日々が約6年続いた。アメリカ、韓国、香港、台湾、シンガポール、タイ、マレーシア、中国、フィリビン・・・次回の両替の手間を考えて各国の現金を手元に残すようになっていた。
9.11のテロのあと間も無く失業した。同時に海外へ行く機会が激減した。地方へ行くような感覚だった各国が滅多に行かないにところとなった。
手元の外貨の存在が断捨離まで忘れられたままとなった。外貨には慣れていると自負していたから出てきたコインの量に驚いたのである。
紙幣なら外貨はある程度日本国内の銀行でも日本円に再両替できるがコインはダメと昔からずっと頭にあった。昨今空港やターミナル駅にPocket Changeというコインも受け付けてくれる外貨両替システムがあることを知った。目から鱗だった。
Pocket Changeは両替といっても現金ではなく電子マネーに相当金額が返ってくるシステムだ。 Suicaも対象なので現金で返ってくるのと同じ感覚になる。
受け付けてくれる外貨の中に韓国ウォンがあった。・・・韓国ウォン?
韓国ウォンが含まれていることに驚いたというより目を疑った。
目を疑ったのは韓国ウォンが思い出深い外貨だからだ。私が機内販売の免税品の売り上げ管理の仕事を引き継いだとき、韓国ウォンの現金だけ異常に金庫にあった。
USドル以外の外貨は社内で成田に出張してくる各国の人に託してその国の支社の口座に預金していた。溜め(貯め?)ないようにしていた。前任者達がソウルからくる人たちにお願いするタイミングを逸し続けたのだった。
どうにかしなければという状況になった。当時日本では韓国の銀行でも現金の韓国ウォンへの対応はないに等しかった。韓国ウォンは1990年代初頭の日本では結構面倒臭い外貨だった。
経理と協議を重ねた結果、誰かがソウルまで持って行くしかないということになった。その誰かが当時入社三年目の私となった。
一日社内にあったキャスターの付いていないバーガンディー色の予備の乗務員用のバッグに韓国ウォンを詰めて自社便でソウルへ向かった。
当時は航空機のやりくりとスケジュールの関係で、自社便でソウルを日帰りできた。乗務員もソウルの人以外は同じ顔触れで成田とソウルを日帰りで往復した。
乗務員がソウル到着後に成田へ戻るフライトの出発までの休憩時間中に、空港内の銀行へ行き、持って行った韓国ウォンを韓国支社の口座へ預金してくるという計画だった。
学生時代に「タモリ倶楽部」でタモリ氏が香港でランチを食べて日帰りで帰ってくるというのを観た。まさかその何年か後に日帰りで自分も海外で用事を済ませることになるとは少しも思わなかった。
韓国へ行くにはビザが必要な時代だった。空港から出ないこの旅のためだけにビザを取った。
空港のショップでよく見かける急場凌ぎの頼りないキャスターに韓国ウォンだけがたっぷり入ったバッグを括りつけて成田空港内を移動した。出発前にソウル側も含めて各所に根回しをしておいたとはいえかなり不安だった。誰も問題ないとは決して言わなかったし、誰もやったことがないことだったからだ。航空会社の社員なのにやっていることは運び屋ではないのかと思った。
「肌身離さず」とはこのことというくらい機内でもバッグを身近に置いた。トイレへ行った記憶もない。日本人の乗務員は先輩と後輩が一人ずついた。果たして会話になっていたかどうか・・・。
与えられた席はファーストクラスだったがこんなに楽しめないファーストクラスの旅はなかった。離陸前に「行きはよいよい、帰りは・・・。」にならなければと思った瞬間に隣の客がこぼしたシャンペンが左肘にかかった。拭くものを持ってきてくださった先輩の乗務員がニヤリとして「幸先いいじゃない?」と耳元で囁いた。
当時のファーストクラスのタグ。これも断捨離で出て来ました。ファーストクラスは出張でも休暇でも空いていれば利用できました。行き先が遠ければ遠いほどありがたかった社員の特典でした。
金浦空港到着。ドキドキした割にはあっけない入国審査だった。待っていたKimさんというソウルの旅客課のスーパーバイザーの後をついて税関へ。
税関が一番心配だった。ついて行った先は一般の乗客が通るところではなくパイロットや乗務員が通るところだった。Kimさんが一言二言係官と話すと、係官は私のパスポートを手に取り、胸につけていた会社のIDを一瞥しただけでバッグは開けなかった。あっけなく通関。あとは銀行へ行くだけとなった。この時点で仕事は終わったのも同然だった。
Kimさんが空港内の韓国の銀行へ案内してくれた。ここでも予め話が通っていたのか奥の応接室に通された。テーブルの上に持って来た韓国ウォンを乗せると、その量を見た係りの人が席を外し、紙幣カウンターを持って戻って来た。
係りの人はお札を適当な量を掴んでは紙幣カウンターへ挿入することをひたすら繰り返していた。Kimさんと雑談しながらその様子を横目で見ていた。
コインも全て数え終わって総額が提示された。予め数えていた金額より数ウォン多かった。誤差の範囲だった。預金証明の書類をもらって任務完了となった。詰まっていた韓国ウォンが出て行って頼りなくなった空の事務封筒だけがカバンに残った。身も心も軽くなるとはこのことかと思った。
銀行を出てKimさんに機内サービス部のオフィスに案内してもらった。今回のアシストのお礼を丁寧に述べた。握手をするとKimさんは通常業務に戻って行った。
最近の韓国ウォンの紙幣。仕事で触れていた頃とは人物が変わった気がします。年に一度は夫婦で出かけて行く弟から借りました。私自身韓国には約20年ご無沙汰しています。
オフィスに入るとマネージャーのLisaがいた。大変だったね〜と笑顔で迎えてくれた。その後何度も仕事で会うことになり親しくなるLisaと会うのはそのときが初めてであった。
Lisaが何か飲む?と言ってくれた。そういえば最後に水分をとったのはいつだったか? 銀行では別室に通されるほどの現金を預けに行ったのにお茶の一杯も出なかった。
水を一杯もらってLisaと話していると帰国便のチェックインの時間に。挨拶もそこそこにチェックインカウンターへ。屋外でソウルの空気を吸う間もなく入国から約二時間の滞在で帰国。日帰りを実感した。
座席は偶然行きと同じだった。乗務員の先輩と後輩が私の顔を見て驚いていた。自分たちと同じ日帰りだったからだ。ソウルにやって来た目的を改めて話すと驚いていた。
機内では最終着陸態勢に入ったアナウンスにも気が付かないくらいボーっとしていた。先輩に注意されて初めてフットレストを出したままにしていたのに気が付いた。自分でも気が付かないくらい精神的に疲れていたのだろう。日帰りで運んだ韓国ウォンの現金は日本円で約400万円もあったのだから無理もなかったのかも・・・。バッグを括りつけたキャスターもどこかに置き忘れてきていた。
追記:
1.韓国に関してはこれまで「空港にて」「AIR FORCE ONE」「汗・・・。」「Bell Deskにて・4」「アンバランス」「お会計32万」 というタイトルで書きました。本文に登場したマネージャーのLisaは「空港にて」にも登場しています。未読の方は是非ご笑覧ください。
2.この2月より過去に「みんなのストーリー」に掲載していただいたストーリーを古い順番に一日一話ずつnoteで展開しています。興味のある方は以下URLよりご笑覧ください。
https://note.com/nostorynolife
「おとなの青春旅行」講談社現代新書
「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿