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『空港にて・1』

『空港にて・1』

2010/05:STORY
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 旅の始まりと締めくくりにその役割を果たす空港についてトラベラー各位には様々な思い出や逸話があると思う。同じ土地なのに扉一枚向こうは別世界が広がっていて、あらゆる国々の人々が行き交っている。時には空港にいるだけで旅をしている気になってしまう。
 毎年この時期(2月)になると必ず思い出す空港での出来事がある。1995年の2月のことだ。当時航空会社に勤めていて、勤務地が成田空港だった。チェックインカウンターでの用事を済ませてオフィスへ戻る途中に年配のお坊さんから英語で声を掛けられた。クレジットカードで現金を下ろしたいので場所を教えてほしいと言われた。ディスペンサーまでの道すがら話しを聞くと空港使用料を払う現金2,000円(当時)が必要とのことだった。そのお坊さんは韓国の方だった。片言ではない流暢な英語を話していた。自分の乗る航空会社のロゴの入ったIDを首から提げていた僕が通りかかったので声を掛けたようだった。ディスペンサーに到着はしたものの暗証番号がしっかりと設定されてなかったらしく現金は出てこなかった。ソウル行きの搭乗締め切りの時間もそろそろだった。何が何でもこのお坊さん(お客さん)の搭乗を間に合わせなくてはと思った僕は自分の財布から2,000円出して渡し、ゲートまで急いでもらった。僕も後から出発ゲートまで行きますからとにかく急いでくださいと言って急がせた。驚いたそのお坊さんは呆気に取られながらも急いだ。一度オフィスに戻った僕は出発ゲートまで行くことが許可されているパスと同じ課のソウルにいる先輩リサの名刺のコピーを手に取って出発ゲートまで急いだ。出発ゲートに駆けつけるとそのお坊さんは丁度ボーディングパスの半券を手にしたところだった。時間もあまり無かったので、お金はいつでもいいですからここへ届けてくださいとリサの名刺のコピーを渡した。そのお坊さんは何度も丁寧にお礼の言葉を述べながら機内に消えて行った。その時はお坊さんが乗り遅れなくて良かったということが第一で、お金は後から上司に相談すればいいし戻ってこなくてもいいやくらいに思っていた。
 そんな2,000円のことなんかすっかり忘れていたある日、ソウルのリサから連絡があった。「私の名刺のコピーを持ったお坊さんがお金と何だか贈り物らしきものをオフィスまで持ってきたわよ。今度の出張の時に持って行くわね。それから新聞も。」とリサは言った。
 後日リサがそのお坊さんが返してくれた2,000円とお礼のカード、贈り物(茶器)を届けてくれた。新聞とは現地のお坊さん向けの新聞で僕のことが書いてあったらしくそれも一緒にくれた。それぞれ探せばまだあると思う。
 この件はまだ続きがあった。そのお坊さんがアジアを管轄している副社長(アメリカ人女性)にお礼の手紙を書いたのだ。後日ある会合が始まる前にその副社長に呼ばれてお褒めの言葉とカード、ご褒美にファーストクラスのチケットを二枚いただいた。
 咄嗟に自腹を切った2,000円のリターンは確かに凄かったが、当時闘病していた父がそのご褒美の分回復してくれたらと思った。あの時お坊さんに咄嗟に親切に出来たのは、目には見えないお坊さんの念力で父が回復してくれたらという思いが多少はらたいたからかもしれない。
 先日帰宅して郵便受けを覗くと「お会計32万」に登場した韓国のM君から郵便が届いていた。いつもは手紙か絵葉書なのに郵便受けにあったのは不在通知だった。何か送ってくれたようだった。深夜に自転車で本局まで取りに行くと、奥から局員が決して小さくはない箱を両手で抱えて戻ってきた。添付書類を見なくてもそれはキムチだと匂いで分かった。自転車のサドルに大量のキムチを乗せて寒空の下倒れないように自転車を押して帰った。キムチの管理は三階に住んでいる母に任せた。
 翌日帰宅して階段ホールの鍵を開けるとキムチの匂いがした。母が暖房のない階段ホールにキムチを置いたようだった。しかし、このキムチだけではなく締め切った室内の匂いと一緒になった匂いは何となく記憶にあった。それはソウルの金浦空港に初めて降り立った時に漂っていた匂いに似ていた。そしてすぐに成田空港でのその韓国のお坊さんとの話を思い出した。当時弟のように可愛がってくれて僕より先に会社を辞めたリサとはもう何年も連絡を取っていない。まだ、連絡を取っているであろうリーさんに連絡先を聞いてみよう。そのリサと初めてあったのも金浦空港だった。 「お会計32万」に登場したM君、もう何年も連絡を取っていないリサ、恩人であり今でも年に数回贈り物をしてくださるリーさんご夫妻に会いに久々にソウルへ行ってみようかと思う。その時は仁川空港ではなく金浦空港へ降り立つフライトで行こうと思う。久し振りに降り立つ金浦空港では当時と同じ匂いがするのだろうか。そこでまた何か忘れていたことを思い出したり、思い出に残る経験をしそうな気がしてならない。