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『旅先で具合が悪くなって・1』

『旅先で具合が悪くなって・1』

2017/03:STORY
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 素人のこんな文章でも毎月欠かさず読んで下さる方々がいらっしゃる。順調にいけばこの秋でここに旅の話を書いて10年になる。これだけの期間書いていると“◯◯な話も書いてみて下さい”などと読んで下さっている方々からご要望をいただくこともある。
 2002年の日韓合同開催のワールドカップで働いたときの話は以前『On The Road・ 1』に書いたが、そのとき札幌で一緒に働いたSさんも、私がストーリーを書き始めてから現在までずっと読んで下さり、読んだ後で都度コメントを下さる方々のお一人だ。
 Sさんは学校の先生だった方で、積極的に海外の学生をお宅にホームステイさせたり、熱心にボランティア活動に参加したり、旅もかなりの回数を重ねてきた方だ。定年を迎えられた現在もボランティア活動やご専門である音楽をそのジャンルを拡げて、こちらが感服するくらい元気一杯に活動していらっしゃる。
 何年か前にSさんがいつものようにストーリーを読んだ後に送って下さったコメントに“旅先で病気になったことがあればいつかその話を読んでみたいです”とあった。そのコメントは時折いただく札幌からの絵葉書にあったのかもしれない。体調不良を病気とし、二日酔いによる体調不良を病気としていいのなら『旅先で二日酔い・・・』のタイトルで数年は書けて投稿できるかもしれない。しかし、トラベラーズノート側が、数作は我慢して下さるかもしれないが、早々にNGを出してくることは明白だ。
 それで今回はこれまで訪れた数々の旅先の中でたった一度しか訪れていないところで、二日酔いではなく、本当に具合が悪くなった話を書こうと思う。
 私はドイツには行ったことがないが西ドイツなら言ったことがある・・・といったら少々嫌味だろうか。というよりも西ドイツと聞いて瞬時に分かる方は現在どのくらいいらっしゃるのだろうか。トラベラー各位はいかがだろう。そう、私はベルリンの壁崩壊以後ドイツを訪れていないのだ。西ドイツ・・・日本語表記に漢字とカタカナが組み合わさっている国名も今では珍しいのではないだろうか。航空会社とは別に北関東のある町に工場を持っていた外資系の会社に勤めていたことがあった。その工場にあった機械の一つに付いていたプレートに”Made in West Germany”とあったのを目にしたときにはとても驚き、これから書く話の記憶が瞬時に甦った。
 1987年の夏休みに大学の語学研修で4週間イングランド東部のコルチェスターに滞在し、その研修が終わり帰国するまでの数日間で西ドイツとフランスを周る旅程があった。西ドイツはハイデルベルクでフランスはパリだった。パリでの出来事は以前『セーターの袖』に書いたのでご笑覧いただければ幸いである。

 
当時のパスポートと西ドイツ入国のスタンプ。日付の下に英語で“フランクフルト”と読めます。
日付の上のスタンプが不鮮明なところにドイツ語で“西ドイツ”とあるのかもしれません。
私のパスポートに関しては『デビュー40周年』をご笑覧下さい。



 9月に訪れたハイデルベルクでは、研修の参加者全員での団体行動は凄まじい大きさのワインの樽があるハイデルベルグ城の見学とトラベラーの間で何かと話題になるライン川下りだけであとは自由行動だったと記憶している。ハイデルベルグ城でワインを試飲したグラスは探せばまだあると思う。ライン川下りは小雨混じりで船上は結構寒かった。自由行動で街中を何人かでブラブラしているときに消防署のイベントにぶつかり、同級生の一人が周りのドイツ人達に囃し立てられてはしご車に乗せてもらった。はしごがグーッと曇り空に向かって結構な高さまで伸びた。
 冬場はスキー場になるようなところでリフトに乗った。音楽が演奏されているドイツならではといった趣の酒場で本場のビールを飲み、結構大振りのドイツのウインナーが挟んであったホットドッグを食べた。
 西ドイツでの最終日はベルリンの壁を観に行こうと計画していた日に何と不覚にも発熱してしまった。イギリスで四週間過ごした疲れなどが一気に出たのかもしれない。もしかすると小雨混じりで結構寒かったライン川下りの所為だったのだろうか。ハイデルベルグ滞在中の天気はずっと曇っていて肌寒かったと記憶している。風邪はちょっと眠ればすぐに治るので長旅でも風邪薬なんて携帯しない。これは現在でも変わらない。
 研修の参加者の中に実家が病院の同級生がいた。彼女がお家で処方して貰ってこの旅に持参していた風邪薬を分けてくれた。小生意気だったその医者の娘がそのときはとても素敵な女性に見えた。薬を飲んで半日大人しくゴロゴロしていたらすっかり回復した。二十歳の頃のその回復力が嘘のように今ではどこかへ行ってしまった。
 ベルリンの壁を観ることはそのとき出来なかったが、またチャンスはあると気を取り直した。その二年後に壁が崩壊なんてことはそのとき思いも寄らなかった。今でもベルリンの壁自体は観ることができる。しかし、壁によりドイツが西と東に分断されていたときの緊張感が漂った中でのベルリンの壁を観ることはもう出来ない。このときのことを思い出す度に悔やまれてならない。この経験があったからこそ肝心なときに体調を崩さないようにという教訓になり今日に活きていると思うようにしている。
 薬をくれたその同級生から私が航空会社に勤めて何年か経ったときに連絡があった。その会社の飛行機に乗るからとの連絡だった。ゲートまで顔を見に行く時間はなかったが、そのフライトに乗務することになっていた後輩にメッセージを託して挨拶に行って貰った。席のアップグレードは不可能だったが、乗客で一杯の客室で乗務員がお席までわざわざご挨拶に伺ったということでお医者様のお嬢様に西ドイツでの薬の恩はちょっと返せたかなとそのときは思った。後輩がフライトを終えてすぐに直接私のところに来て彼女の元気そうな様子を伝えてくれた。事前にその名前を聞いていたイギリスの超有名なミュージシャンと同じ名前のボーイフレンドが確かそのとき同行していた。しっかりと捕まえて今に至っていればいいのだが・・・と思った。
 現在の職場で係は異なったがよく一緒に仕事をしたかつて同じ課にいた方が昨年12月に休職してドイツへ渡った。将来に備えていろいろな計画があるようだ。その方にとってドイツは幼い頃からの勝手知ったる慣れている土地とのことだ。慣れているところとはいえ体調を崩すことなく計画通りのドイツ滞在になればいいなとこの話を書きながら思った。

追記:
5年以上眠らせていたTwitterのアカウント(@Hidetsukui)を起こしました。
日々ふと思い出したときにつぶやいています。
ストーリー掲載のお知らせも始めようと思っています。
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