

『セーターの袖』
週末に街に出て友人達に出す絵葉書を物色していると、最近はパリのエッフェル塔のものをよく見かける。その種類も豊富だ。絵葉書だけではなく、エッフェル塔のキーホルダー等の小物もここ数年よく見かけるようになった。三年位前に洋服屋の店先に何故かエッフェル塔のスノードームを見つけてすぐに購入したこともあった。最近はそれらの数も増えてきているので、三年くらい前からジワジワと「エッフェル塔ブーム」が来始めていたのかもしれない。日本はアメリカの影響を強く受けているところがあるので、パリのエッフェル塔よりもニューヨークのエンパイア・ステート・ビルのほうが流行りになるのではとも思った。しかし、どちらもその都市を象徴するものではあるけれど、「塔」と「ビル」とではやはりその発している個性が全然違うのだろう。それに、「塔」のほうが小物等にもしやすいのかもしれない。東京にも東京タワー、サンシャイン60、六本木ヒルズ等がある。サンシャイン60は建って久しいが、まだまだ東京を象徴するシンボルにはなっていないと思う。エッフェル塔もエンパイア・ステート・ビルもテレビ画面に現れてきただけで、パリだ、ニューヨークだと分かる。サンシャイン60がいきなりテレビ画面に現れても、どこだろうと思いを巡らせているうちにどんどん画面が切り替わっていってしまうだろう。スノードームにしたとしても(あるかどうかは知らない)映えないだろうなと思う。サンシャイン60よりも街の象徴になっている六本木ヒルズも、下町情緒が残っている麻布十番から見てみるとまだまだ借りてきた置物に見えてしまう。もう一つ周りにフィットしていない感じがするのだ。大きな建物がその街の象徴になるには長い年月が必要なのだろう。
1987年の9月に2度目のパリへ行った。その前月8月の一ヶ月間イギリスはコルチェスターでの英語の研修を受けた。終了後、研修の一環でドイツ(当時の西ドイツ)とフランスへ行った。ドイツでもフランスでも日本から一緒に参加した大学の同級生たちと行動した。同級生で英語学科の少しフランス語が出来たI君も一緒だったが、パリで適当に飛び込んだレストランでそれぞれが適当にメニューを指差して頼んだ料理が全て大当たりだったという楽しい思い出がある。その後旅をした時に発揮できた「トラベラーの勘」みたいなものは、振り返ってみると、このときから養われ始めたのではないかと思う。
小学校からの幼なじみSが就職してパリ在住になったり、今でも仲良くしているNが長めの有給休暇を取ってパリに行き、パンとワインだけで暮らしていけるところだと手紙を貰ったのはその時からずっと後の話だ。僕はその2度目のパリ以来フランスはご無沙汰しているが、その2人の友人により何となく身近な外国という印象を持っていた。
その2度目のパリ滞在中にエッフェル塔にも行った。斜めに昇降するエレベーターにはとても感心した。エレベーターの中から見たしっかりと組まれた鉄骨の逞しさにも感心した。外が見えるエレベーターで展望台を目指した時に、一緒にいた同級生の中の一人S(女性)の元気が段々と無くなっていくのが分かった。具合でも悪くなったのかと思ったが、他の同級生達と同様に僕は生まれて初めて乗った斜めに昇っていくエレベーターを楽しんでいた。展望台に到着してエレベーターを降りた。しばらく気が付かなかったが左腕のあたりに違和感があったので見てみると、Sが僕のセーターの袖をギュッと握っていた。あれっ?と思いSの顔を見ると少々涙ぐんでいた。Sは僕が感心した斜めに昇っていくエレベーターや展望台から一望できたパリの景色に感動して涙ぐんでいたのかと思ったらそうではなかった。高所恐怖症だったのである。上昇中景色が見えないエレベーターだったらまた違ったのだろうが、景色が鉄骨の間から丸見えのエッフェル塔のエレベーターはSを涙ぐませるのに十分な威力を発揮していた。これじゃSは銀座コアのエレベーターも無理だろうなと思った。そのセーターはイギリス滞在中に研修プログラムの一環でケンブリッジに行った時に買ったケンブリッジ大学のエンブレムが刺繍されているものだった。9月初旬のパリは肌寒くそのセーターに救われた。そのグレーのセーターは今でも十分着られ、冬になると着ている。エッフェル塔に一緒に行った同級生達とその時に撮った写真は探せばあるはずだ。Sが涙ぐみながら笑顔を作っているその写真を探してもう一度見てみようと思う。
エッフェル塔は当時の万博に間に合わせるためにわずか2年あまりで完成させてしまったそうだ。そんな突貫工事にもかかわらず工事に携わった人達の中に一人の死亡者も出さずに完成したエッフェル塔も、完成時にはその外観は賛否両論だったようだ。「エッフェル塔の中のレストランはいい。なぜなら、その醜い姿を見なくて済むから」とあのモーパッサンが皮肉ったらしい。「エッフェル塔が嫌いなやつはエッフェル塔へ行け」ということわざもそのときに生まれたとのことだ。当時は高い建物が今ほどなくて、どこからでもエッフェル塔が目に入ってきてしまい見ざるを得なかったからだろう。
僕はエッフェル塔を何かで目にした時とそのグレーのセーターを着た時にSが袖を握り締めながら涙ぐんだ顔を思い出す。2009年の今年は、エッフェル塔竣工120周年に当たるそうだ。先日フランス国旗の色にライトアップした模様をニュースで観た。Sとは社会人になって成田に住んでいた時に、銀行でバッタリ会った時以来会っていない。Sはそのエッフェル塔竣工120周年のニュースを何かで目にしただろうか。そしてその時に、展望台が高くて怖かったことと僕のセーターの袖を怖くて握り締めていたことを思い出したのだろうか。エッフェル塔の絵葉書で久し振りに連絡を取ってみようかと思う。