

『旅先で具合が悪くなって・3』
2019年5月21日、その日は約7年振りに香港へ出かけて行く日だった。フライトは午前10時半成田空港発。普段出勤するときより早く起きて身支度を整えなければならない。
前日まで忙しかったが予定していた時間に寝坊することなく起床して支度をした。自宅を出る15分前にスーツケースをリビングから玄関へ運ぼうと持ち上げた際にやってしまった。ギックリ腰である。起き抜けで体が硬かったのと、持ち上げる際にスーツケースの重さを全く意識することなく中途半端な姿勢で持ち上げてしまったためだ。
いつもは気をつけているのによりによってなんでこんなときに・・・。この旅に同行する母にすぐに連絡を取り、腰に巻くコルセットを持ってきて欲しい旨を伝えた。
荷物が詰まったこのスーツケースを持ち上げたときにまさかのギックリ腰に(苦笑)。
出発15分前に旅の供となった腰用のコルセット2種。トホホという感じでした(苦笑)。
旅とギックリ腰・・・といえばいくつか経験している。2002年の日韓共催のサッカーのワールドカップの仕事を6月末に終えて約一月振りに帰宅した日の翌朝、大きなくしゃみをした途端にギックリ腰になった。
連日の少ない睡眠時間の積み重ねや冷房と外気の温度差などで溜まっていた疲労などが影響したのだと思う。研修も含めれば約半年に及んだ日本中を旅して周った仕事を無事勤め上げた安堵もあった。整骨院で貸し出されたコルセットをこのとき初めて腰に着けた。以来くしゃみが出そうになると無意識に腰をかばうようになった。
台湾の高雄でやってしまったギックリ腰は忘れられない。ギックリ腰と耳にしても、旅先で具合が悪くなったことを振り返ったときでも真っ先に思い浮かぶのが高雄でなったギックリ腰だ。高雄という地名を何かで見ても思い出すくらいだ。
航空会社に勤めていた頃に高雄から大阪へ新たに就航するフライトの準備で高雄を頻繁に訪れていた時期があった。1998年から1999年にかけてだった。機内食の準備が役割だった。
機内食会社の選定から第一便が出るまで何度も高雄まで通った。他社の直行便ではなく、夕方成田を発つ自社便で台北まで行き、台北で一泊して翌朝松山空港から国内線で高雄へ移動することが多かった。台北到着後桃園空港から遅い時間の国内線で移動したこともあった。アメリカ本社の命を受けた社用で台湾の国内線に乗った回数が一番多いのは自分のはずだとそのときは自負していた。
高雄での常宿はグランド ハイライ ホテルだった。高雄での機内食の会社がどこになるにせよ、就航が決まった早い段階でパイロットと客室乗務員たちの常宿に決まったようだ。
客室乗務員には顔見知りの台北ベースの乗務員の他に、東京ベースの先輩も後輩も同期もたくさんいた。高雄へ乗務できた際はみんなこんないいホテルに泊まれるのだと思った。おそらくパイロットの宿泊先を決める権限があったアメリカのパイロットの組合が認めたホテルがグランド ハイライ ホテルだったのかもしれない。
ホテル側が気を利かせてくれたのか、私も同じ航空会社ということで滞在の際にはいつもいい部屋をあてがってくれた。きっと正規で支払うとしたらいいお値段なのだろうなと思いながら毎回ありがたく滞在させてもらった。
一日さらにいい部屋をあてがってくれたことがあった。カーテンを開けると港町である高雄の街が一望できた。ちょっとしたベランダがあり、そこに置いてあったエアロバイクに跨りながらもその景色を眺めることができた。ベッドはキングサイズが二つ。少々高さがあり、目が覚めて起き上がる際はベッドから飛び降りる感覚だった。小さな子供がそのベッドに寝ようとするならベッドによじ登る感じになるだろう。
バスルームはバスタブとシャワーがセパレートでシャワーはガラスの扉が付いた個室のようになっていた。バスタブは洋風のホテルには珍しく日本のお風呂のように深めで、湯を肩まで張ることができ、足がしっかり伸ばせるサイズだった。テレビは大画面で壁にかかっていた。
街歩きもいいが、部屋を楽しむのもいいと思わせるほどだった。到着した日は風呂にしっかり浸かり、出発時間ギリギリまでこなしていた業務と移動で疲れた体を大きなベッドで休めて翌日からの仕事に備えた。
快適な部屋で目覚めた翌朝、ベッドから降りた拍子にギックリ腰になってしまった。ベッドが体に慣れたというか体が覚えている高さではなかったためなってしまったようだ。痛みよりもこれからこなして行く予定に支障が出ないといいがということを真っ先に思った。参ったなという言葉が思わずこぼれた。これほどシリアスな“参ったな”は後にも先にも発したことはない。
とにかく迎えに遅れないように支度に取りかかった。痛くない体勢を探しながらなのでもどかしくいつもより時間がかった。普段は全く気にならないちょっとした段差が非常に辛く恨めしく感じた。
深めのバスタブに入ることはちょっと無理。段差のない位置にシャワーが別にあって助かった。ズボンや靴下を履くのも辛かった。こんなに時間がかかるのかというくらい時間がかかった。立っているのが一番楽で、屈むことが一番酷だった。階段では手すりがこんなにありがたいものだとは思わなかった。ギックリ腰の経験者ならよく分かると思う。
一緒に仕事をしている現地の機内食会社の人たちに気付かれないようにしていたが不自然な格好や歩き方で分かってしまった。不自由を感じながらなんとかその日の仕事を終えた。仕事の後で食事のお誘いをいただいたが辞退して部屋で大人しくすることにした。
仕事の後で楽しみにしていた街歩きも当然自粛。毎回訪れていたホテルの近くにあるとてもローカルな牛肉麺も、白い建物でイートインのスペースの床がフローリングで心地よいスターバックスも我慢した。街歩きをしないで部屋を楽しもうと思っていたのが部屋に居ざるを得なくなった。
何とか風呂に入り、持っていた痛み止めを飲んだりした。その夜は健康ならばその上で快適に過ごすはずだったベッドを見上げながら床で寝た。
香港へ行く際に使ったスーツケースにしっかりと残っているグランド ハイライ ホテルのステッカー(左)。一枚未使用のものが手元に残っていました(右)。このスーツケースがギックリ腰を誘発したとは思いたくないです(苦笑)
翌日は午後まで仕事をして台北へ移動した。わずか役45分のフライトなので国内線はいつも小さな飛行機だった。飛行機が小さいということは通路が狭く、座席の幅も狭い。腰をかばいながらの小さい飛行機の乗り降りと機内の歩行はかなり辛かった。荷物のトランクへの積み下ろしも含めて短時間で乗り降りを済ませなければならないタクシーも辛かった。
自社便を使うことが出張の際のルールだったので往路と同じく復路も台北からとなる。高雄から移動してくるのがダウンタウンにある松山空港だったので、台北での宿泊もダウンタウンにあるホテルとなった。台北のスタッフが用意してくれるホテルはかなりいいホテルだった。休暇で訪れた際の定宿となったハワードプラザかある超高級ホテルだった。「ある超高級ホテル」については今後改めて書く予定でいる。
ギックリ腰を抱えながらのそのときは「ある超高級ホテル」のほうだった。その夜も各所からの食事のお誘いを辞退した。一人での街歩きも自粛した。前夜と同じく「ある超高級ホテル」でも泣く泣く床の上で寝心地のよいベッドを見上げながら早々に眠った。
台北から成田に帰る自社便は午前10時台の出発だった。与えられた座席はビジネスクラスだった。空いていたからだろう。腰を下ろしても深くは沈まない硬めのシートがギックリ腰にはありがたかった。その硬さでフルフラットになるので、成田までギックリ腰を忘れて足を伸ばしてぐっすり眠った。シートベルトをしているのも忘れて食事もとらずに眠った。痛みに耐えていたのと疲れのせいだろう。二晩も床の上に寝たし。
高級ホテルのいくらでも寝返りがうてる広くて心地よいベッドよりも、寝返りをうてない自社便のビジネスクラスのシートのほうがとてもありがたかった。
ギックリ腰を抱えての出かけて行った7年振りの香港再訪に関しては次回から続けて書く予定です。トラベラー各位、旅先での怪我や病気はもとより、出発前も十分にお気をつけください。
追記:
1. 高雄に関しては以前「Kaohsiung」というタイトルで書いています。
合わせてご笑覧ください。以来訪れていない高雄を再訪する際は必ずグランド ハイライ ホテルに滞在したいと思います。
2. 日韓共催で行われた2002年のW杯で働いたことに関しては「On The Road・1」というタイトルで書いています。こちらもどうぞご笑覧ください。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書