

『お使い・2』
仕事の帰りにコーヒー豆を買いに市川にある麻生珈琲に寄った。いつものようにオーナーの麻生さんと世間話をした。話の途中で麻生さんが突然「あっ、そうだ!」と言って店の奥に消えた。しばらくすると、大きな箱を両手で抱えて現れた。箱の中身は一杯分美味しく淹れることができるコーヒーメーカーだった。私にくださるために保管しておいてくださったとのことだ。その大きな箱がすっぽりと入る黒い手提げのビニール袋に入れてくださった。ぶら下げて25分かけて自宅まで歩いて帰った。世間話の際にサービスで麻生さん自ら淹れてくださった美味しいアイスコーヒーはきれいに汗となって消えた。
そのコーヒーメーカーは国産で、動物の名前がついた有名なメーカーのものだった。私は航空会社に勤めていたときに主に機内食のサービスで使う機材の管理をしていた。和食のサービスでお吸いもの用に使う保温がきくポットを特注で作ってもらったのがそのメーカーだった。お吸いもの用のポットはビジネスクラスに和食のサービスがあるアメリカ線にしか使わなかった。なぜか蓋だけがどんどんなくなり、蓋だけをポットの数の何倍も発注してアメリカの各拠点に毎月輸出した。ミネアポリス、デトロイト、シカゴ、ニューヨーク、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ラスベガス、ホノルル・・・どこで蓋だけそんなになくなったのだろうか。
マニラでの一年間の単身赴任を終えて7月に無事帰国した従姉の長男が一人暮らしをすることを仄聞していた。麻生さんからいただいたそのコーヒーメーカーを二つ返事で欲しいと言った。コーヒー好きで麻生珈琲も大好きな彼に譲ることにした。
台風が去り猛暑が戻った8月のある週末に江東橋(JRの錦糸町駅と都営新宿線の菊川駅のちょうど中間に位置している)に住んでいる従姉のところへコーヒーメーカーを届けた。訪ねたときにはちょうど叔母もいた。叔母は私の顔を見るなり挨拶もそこそこに、“いろいろと想像しながら読むと面白いわね~。”と私が寄稿した「おとなの青春旅行」(講談社現代新書)の感想を言ってきた。コーヒーメーカーを猛暑のなか汗を拭きながら運んだ疲れを一瞬忘れた。
話が尽きなくなりそうだったが早々に辞した。その日は江東橋から清澄白河へ行ってみようと思っていたのだ。一度訪れてみたいと思っていた先輩のNさんがお気に入りで常連のカフェが清澄白河にある。江東橋から歩けない距離ではないが、暑いので少しだけ歩いて住吉から半蔵門線に乗った。半蔵門線の清澄白河の駅を出て、清澄庭園を庭園に沿ってぐるりと半周すると目指したカフェがあった。清澄白河はここ何年かカフェの激戦区で有名である。このカフェはメディアの特集があると必ず取り上げられる一店だ。トラベラー各位の中でも訪れたことがある方が大勢いらっしゃるのではと思う。
お店に着いたのはお昼少し前だったが、店内は二人掛けのテーブルが二つと壁に向かって誂えてあるカウンターにスツールの席が空いているだけだった。店に溶け込んでいる感じからひと目で常連と分かる人たちが私の目の前のテーブルをシェアしていた。お店の方も交えて楽しそうに話をしていた。ペット入店可のカフェなのかその人たちの誰かの愛犬が足元で行儀よくしていた。休日のカフェでの過ごし方のお手本が目の前にある気がした。
酸味のあるコーヒーが苦手な私が飲めるのは、そのときの品揃えではアイスコーヒーしかなかった。美味しい。ひと口目でこれを飲みにまた来ようと思った。一時間足らずの滞在で二杯飲んでいた。
人心地が付いたところで店内を見渡す余裕がでてくると、見覚えのある景色の中に自分がいるような気がした。そのことをたいして気に留めずにスマホでフェイスブックを開くと、フォローしているシカゴのスポーツのページが飛び込んできた。カブスは調子がいいが、ホワイトソックスは早々に来シーズンを見据え始めて久しい。大好きなシカゴもご無沙汰だなと思ったときに、先ほど感じた「見覚えのある景色」がどこだったのかがハッキリと分かった。
一時間足らずの滞在で二杯飲んだアイスコーヒーです。
興味のある方は清澄白河とこの写真をヒントに是非。
1995年9月に当時ロサンゼルス・ドジャースにいた野茂英雄さんが投げる試合をシカゴに観に行った。そのとき休みが取れずご一緒出来なかった先輩のMさんに買いものを二つ頼まれた。ひとつは夏らしいベースボールキャップ。もうひとつは美味しいコーヒーをということだった。
ベースボールキャップは東京では見かけたことがなかったホワイトソックスの真っ白のものにした。コーヒー・・・当時はいまほど熱心にコーヒーを飲んでいなかった。インターネットも一般的ではかったし、シカゴだけの独立したガイドブックも出てなかった。コーヒー豆を買いに訪れたお店はメインストリートから一本も二本も外れたところにあった。そのお店をアメリカ編のガイドブックのページ数の限られたシカゴに関する情報の中で見つけたのか、ホテルのコンシェルジュに教えてもらったのかはさすがに覚えていない。
隣近所の人しか買いに来ない雰囲気のお店に一歩足を踏み入れると、コーヒーのいい香りがした。自家焙煎しているのだろう。ひと目で常連と分かるメガネをかけて口髭をたくわえた白人男性が白人の女性店員とコーヒーカップを片手にコーヒー豆の入ったショーケース越しに向き合って話をしていた。いきなり入ってきた見慣れない東洋人の私にいささか驚いた店員が話を打ち切って、“Hi ! May I help you ?”とぎこちない笑顔で言った。“日本の友人に美味しいコーヒーを買ってきて欲しいと頼まれました。ここで一番人気のあるコーヒーをください。”と英語で言った。店員がOKといっていくつか選び始めたときに、私に店員との会話を中断させられた白人男性がいきなり“お前英語上手いな!本当に日本人か?”と結構驚いた表情で言った。これっぽっちもイヤミな言い方ではなかった。からかいの色も見えなかった。お店の人がいきなり入ってきた東洋人にびっくりさせられたのと同じくらい今度はこちらがびっくりさせられた。お使いのご褒美をすぐその場でもらった気になった。
説明をしてくれながら並べられたお薦めの中から自分なりに無難だと思われるものを選んだ。豆のままだったのか挽いてもらったのかもさすがに覚えていない。先輩から頼まれものを何とか入手した安堵と長い時間かけて身に着けてきた英語を褒められた嬉しさを胸にお店を出た。
旅先で英語を褒められたときは 、たとえそれがお世辞であっても、私にとっては至福のひとときなのだ。英語の本場といったらいくらか滑稽だが、アメリカの中のアメリカのシカゴで地元の人に褒められたのは嬉しかった。振り返ってみて、その場で自分もコーヒーを一杯頼んで、英語を褒めてくれた方ともう少し会話をすればよかったと思った。いまでは考えられないその程度の余裕もなかった当時の自分が滑稽である。
清澄白河のカフェで甦った「見覚えのある景色」は、そのシカゴのコーヒー店の景色だった。煎りたてのコーヒー豆と淹れたてのコーヒーの香り、店内に溶け込んでいる店員と常連客。チェーン店では出せない味がこの雰囲気であり、それを味わいに常連客が足繁く通ってくる。二杯のアイスコーヒーとフェイスブックで見たシカゴの情報が楽しかったシカゴでの旅のひとコマを思い出させてくれた。
シカゴを訪れた際には必ずこの絵を観にシカゴ美術館へ行きます。
額装されたお土産用のレプリカは部屋に飾ってあります。
絵葉書は周りが黄ばみ始めました。誰が描いた何という絵画かはあえて記さないでおこうと思います。トラベラー各位ならご存知かと思いますので・・・。
初めて自ら購入したスノードームはシカゴのこの二つでした。
1990年代の観光地のスノードームはこの形が主流だったと思います。カブスのキャップとユニフォームも1990年代のものです。私の中のシカゴは1990年代で止まっています。
私より10歳以上年上で大学の先輩でもあったMさんは私が辞める数年前に会社をお辞めになった。20年以上はお会いしていないことになる。年賀状のやり取りは途切れることなくいまも続いている。奥様と二人で休暇に年一回出かけていくポートランドで普段着を買うおしゃれな方だった。腕時計はガッチリとしたオメガだった。サッカーもお好きなようで、中学生の時から購読を始めたサッカーマガジンを一冊も欠かしておらず保管もしているという話もしてくださった。
お互い在職中に成田の近辺に住んでいたころ、Mさんとわずか3時間あまりの間に7軒ハシゴしたことが懐かしく思い出された。2日で6軒のパブをハシゴしたロンドンでの話を読んでいただきたくて、「おとなの青春旅行」を一冊Mさんに送った。送る際に住所を確かめるために今年いただいた年賀状を引っ張りだした。お引越しされていた。私のなかでシカゴも遠く感じるようになったが、その住所を見て成田がまた少し遠のいた感じがした。二杯のアイスコーヒーはご無沙汰している大好きな場所とともに大変お世話になった方も思い出させてくれた。
追記:
1.野茂英雄さんが投げる試合をシカゴへ観に行った話も「おとなの青春旅行」に寄稿しました。残念ながら編集の都合で本編ではカットとなりました。カットとなったその話が野茂英雄さんのお誕生日である8月31日に講談社現代新書のウェブサイトに掲載されました。
編集で「50歳の誕生日を迎えた、野茂英雄の想い出を語ろう」というタイトルが付きました。
以下URLからどうぞご笑覧ください。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56969
2.これまでに書いたシカゴに関する話は以下の通りです。どうぞご笑覧ください。
「Journeyman」
「久々・1」
「100」
「訪れた証・5」
「おとなの青春旅行」講談社現代新書