

『再会・2』
現在勤めている会社の年度末は7月。有給休暇とは別に与えられている5日間の「リフレッシュ休暇」はその年度内に消化しなければならない。そのリフレッシュ休暇を使って、アメリカの独立記念日に合わせて約20年ぶりにニューヨークへ行き、従姉の義父Donのお墓参りと従姉の長女の高校卒業祝い、それに独立記念日のパーティーに参加するつもりでいた。7月に入った途端にニューヨークへの航空運賃も現地での宿泊費もかなり高くなるのが事前に分かり、今回のニューヨーク行きは断念した。
こちらの条件に合うパッケージを探している時に、障害として立ちはだかったのは旅行代理店が言うところの「一人部屋割増料金」だ。これは理解できない。旅は一人でするものだし、宿泊するところは完全個室の一人利用が当たり前だと思うのだか、世間はそうではないようだ。誰かが「旅は一人でするもの、旅行は集団でするもの」と言っていたか書いていたのを思い出した。そうか、「旅行」代理店を頼ったからいけなかったのか・・・。一人は身軽だかお金がかかるという仕組みはよくわからない。「一人部屋割増料金」を取り払えば本当の個人旅行客が増えて、各方面でいくらか景気回復に貢献すると思うのだけれど・・・。
一度承認された休みはキャンセルも延期も不可能。ニューヨーク行きをあきらめたからといって一週間家に居るのは勿体無いしそうはしたくなかった。そういえば、シンガポールには随分とご無沙汰しているなと思った途端にシンガポールへ行きたくなった。これだと思ったパッケージはそれほど安くはなかったけれど、諸条件を考慮すると悪くなかったのでそれに決めた。
7月に入ってすぐに4日間の予定でシンガポールへ行った。かつては仕事で年に数回は訪れていたシンガポールには約10年もご無沙汰していた。拙作「口約束・1」に登場したJohnとJosephには旅行の手配が終わった時点で今回のスケジュールをメールで知らせた。二人とも時間を作って待っているとすぐにメールが来た。メールのやり取りの中で前回の訪問で約束した今回の訪問で果たすべきことは何も無いことが分かった(『口約束・1』参照)。
金曜日の午前中に成田を発ち、夕方に到着した。約10年振りに降り立ったチャンギ国際空港は冷房の効きが程よく相変わらず清潔だった。到着ロビーで旅行代理店が手配してくれていた送迎スタッフを見つけるより先にJohnが待っているのを見つけた。 空港で待っていることなど事前に一言も言わなかったのでいきなりの再会となった。 約10年振りに会ったにも関らず、Johnは挨拶もそこそこに、待ってましたという表情で「さあ、飲みに行こうぜ。」と言ったのには笑ってしまったと同時に相変わらずだなと思った。Josephも自分の車で空港に来て待ってくれているとのことだった。もう僕はお客じゃないのだからそこまでしなくてもいいのにと思った。旅行代理店の手配した送迎は規則でキャンセルできないことになっているのでホテルで落ち合うことにした。
ホテルへ向かう車内では、雨が強く降っている外の景色を見ながら過去に訪れた記憶との照合に夢中で、一生懸命話しかけてくる送迎スタッフに対して適当に相槌を打っていた。その旅がその地の再訪の場合は好きなひと時である。有事には滑走路になるという空港から市街地へ向かう道を走る車内では、久し振りだなあという感覚より帰ってきたなあという感覚の方が不思議と強かった。それだけこの国に親しみを感じていたのかもしれない。
ホテルでJohnとともに現れたJosephは大病を克服した後だけあって痩せていた。大病を患った知らせを聞いて以来とても心配していたが、握手をした時に力強さを感じられたので少し安心した。外は雨が強かったので、その日はホテルのカフェでひとまず旧交を温めることにした。かつてはお互い顔を見たらすぐにビールだったが、今回は最初にお互いの体調の話をした。それも割りと長く。2人とも50が見えてきている年齢だ。僕だってかろうじて「アラフォー」だ。ここでも改めて時間の経過の長さを思い知らされた。翌々日の日曜日に迎えに来てくれて、シーフードのディナーに連れて行ってくれることになり、その時にもっと話そうということになった。
シンガポールでは自家用車を持つのは税金などの面で簡単なことではないことは有名であるが、 Josephは4年も乗っているとは思えない綺麗なHONDAでディナーへ行く時に迎えに来てくれた。口髭をたくわえた顔にレンズの厚いメガネがトレードマークだったマレー系のJohnのメガネは圧縮されたレンズが小さめのフレームに収まった今風のものに変わっていた。Josephが仕切ってくれたシーフード・レストランへ行く道中でもいろいろな話をしつつ、車窓から目に入ってくる町並みに目が釘付けになってしまった。初めて訪れたショッピングモールの中にあったそのシーフード・レストランは満席だった。予約してあるテーブルに辿り着くまでに擦れ違ったウェイター/ウエイトレスが運んでいた料理はどれも美味しそうでいい香りがした。Josephがオーダーしてくれた我々の料理は全て美味しかった。車の運転の心配がないJohnと僕はタイガービールが進んだ。食事をしながら話した事のどれもが10年という月日と久し振りにシンガポールに来て彼らに会っているのだなと僕に思わせた。ウエイトレスの一人に僕のカメラで料理を囲んでいる我々三人の写真を撮ってもらった。もうすっかり忘れていたが、彼らが日本に来た時に、僕は同僚とともに彼らを成田山へ案内したそうだ。Johnがその時の写真を上手く繋ぎ合わせてBGMを乗せてショートムービー風にしたものをCD-ROMにして、「今度は10年も空けずに戻って来いよ」と言ってプレゼントしてくれた。帰国してそのCD-ROMを観てみると、画像の後ろで流れているBGMが牧村三枝子の曲だった。曲名は分からないが、かつてJohnに頼まれて僕が調達した牧村三枝子のCDから選んだ曲なのだろう。Johnなりの出会いの大切の仕方と再会の祝し方に頬が緩んでしまった。懐かしくて可笑しくて一瞬にして観終わってしまうショートムービーがJohnのBGMの選曲のお陰でホロリとするものになっていた。出会いを大切にしているとこういう思いをさせて貰えるのだなと心から思った。次はどのような嬉しい再会が待っているのかと思うと楽しみでならない。