

ゴミ巡回 2
この際、正直に申し上げましょう。
私にはひとつの信念ともいえる考え方がありました。
『せっかく自分で集めた物を捨てるなんてもったいない。』
一人暮しを始めて以来、自然と身に付いた単純な発想であります。
バイト代を貯めてようやく手に入れたオーディオコンポの段ボールに始まって、冷蔵庫の中で干からびた玉葱、駅のホームのゴミ箱から持ち帰った新聞紙に至るまで、すべては固定資産。いや、コレクションと言った方がなお正確でしょう。それから10年近く、私の考え方は何ら変わることなく、継承され続けるのです。
結果、6畳一間の私のアパートはどうなったでしょう。
推して知るべし。当然6枚あるはずの畳は姿を見せず、たかだかドア一枚分のスペースからどうやって持ち込んだものか、自分自身不思議に思うほど立体的かつ、カラフルで、360度すべてがモザイク模様のように変化に富んでいました。実際、そのあまりに見事な雑然さに、わざわざ写真に収めたりもしたほどです。
ところが、私に大きな変化が起こりました。結婚することとなったのです。私もすでに30間近になっていました。
困りました。私には差し迫った問題があったのです。
そんな或る日曜日のことです。私のアパートを訪ねた彼女は、新居のアパートへ持ち込む荷物について結論を下しました。確か、持ち込み手荷物として認可を受けたものは、かなり永くなるであろう独身生活を見越して、ボーナスで買い入れたスチームアイロンと小型掃除機、そして、唯一の貴重品といえるオーディオ機器だけです。ということは、ほとんどすべてを処分しなければならない。それも、部屋を引き払うまでの数週間という期限つきです。
その事実を確認して、次に、私は悩みました。
夏でした。それもとても暑い盛りの夕暮れのことです。
とりあえず私は、駅前のスーパー、八百屋、酒屋などに頭を下げてまわり、段ボールを確保することから始めました。
さあ、アパートの玄関は段ボールで埋まりました。私はすぐさま作業にとりかかりました。畳の上に何層にも重ねられた紙類を次々段ボール箱に投げ入れます。
床に無造作に広げられているのは、スポーツ紙。去年の暮れ行った映画のガイドブックと、ところどころページ折りされた『ピア』。独身時代とうとう行かず仕舞いとなってしまった海外旅行の各種パンフレット。その昔、幾度となくながめた覚えのあるオーディオカタログから、中には創刊当初の『FM・レコパル』などという、記念すべき一冊まで。それはまるで、思い出を一枚一枚めくるようで、つい感傷的な気分にさせられたりします。そして、忘れた頃になって、まだ真新しい畳が顔を出したりするわけです。
6枚の畳すべてが顔を出すころ、用意した段ボールはきれいになくなってしまい、私はまた何度か、スーパー巡りに行かなければなりませんでした。
その日以来、私は夜な夜な出歩き続けました。
夜、仕事から戻った私は眠るのです。
夜中、むっくり起き上がると、作業開始です。
膨らんだ段ボールを電柱の根肩に置いて回るのです。この間、街角の電柱はどこも私の貸切りでした。
朝、重い足取りで駅へ向かう私をゴミ達がながめています。
箱から呆けたように首を出すのは、柄の部分まで焦げ目の付いたペカペカのアルミ鍋です。
ああ、この鍋で一体何杯の『サッポロ一番』を食べたことだろう?
凹んだ底の窪み一つ一つにあのミソ味が染み着いています。
アルミ鍋に寄り添うように裏返しになっているのは、10年以上履き続けた健康サンダルです。長い間の銭湯の往復で、かかとのゴム底はナイフのエッジのように砥ぎすまされ、いつの間にはまり込んだものか、パチンコ玉が一つ、すでに半月状になりながら、なお銀色に光っています。
ああ、これではせっかく銭湯で洗った足元も汚れてしまうわけで、私はひたすらパチンコ玉を磨き続けていたようなもの。...
私は今まで何をやってきたのだろう?。...
いやがうえにも、つい、茫漠的になってしまう一瞬です。しかし、私はそんな何もかもを無視して、前進するしかありません。期日はすぐそこ。ゆっくり考えている余裕はないのです。
正直、私は大胆な手にうって出ました。
それは卑劣な作戦です。
時が時で、立場が違えば、多分「大量虐殺」などと呼ばれるような救われようのない悪業です。
時に、月夜に乗じて、また、大雨を狙って、私はそれらを無理やり外へと引きずり出します。長屋の南側は川へと続く野っ原です。日がな一日、折りたたみ椅子や冬場は寝袋まで持っては、日光浴としゃれ込んだフィールドが開けているのです。
シャベル片手に踏み分けた私はいくつもの穴を掘り、コーラビン、手紙の束、写真、外では読めないような雑誌....。
穴を替えてはていねいに埋め戻します。そして、記録的な集中豪雨の夜、川の下見を終えた私は海パン姿に着替え、机や応接用ソファを背負い、流れに突き落とします。水より少しでも比重の軽いものは、いずれも一種ひょうきんな沈浮を見せながら私の視界から離れていってくれました。
まるで軍艦甲板での水葬気分です。
「オー、フレーッ!」
二槽式の洗濯機までも、川底にあたる鈍い音とともに視界から消えます。私はうれしくて海パン姿で敬礼で見送ったもんです。
さらに大胆になった私は、いよいよ、背丈の高い雑草に乗じて、スチールテーブル、アイロン台、壊れたテレビ、ガスコンロなどでオートキャンプのロケーション作りまでするのです。整然と並べるとすぐ立ち去る不思議なキャンプは、秋になって近所の子供達のおままごとの少しは役に立ってくれたでしょうか?。日光浴セットで遊んでくれたっていいんだよ。.....
さて、部屋はこれできれいになったでしょうか?。
ところが、ありとあらゆる物を捨て去った倦怠感でながめ直す6畳間には、まだ意外なものが残っていたりするわけです。その、ゴミと呼ぶにはあまりに立派であったり、私の身体に身近にすぎるものは、学生の頃より15年間愛用し続けた冷蔵庫と布団なのです。これこそまったく予想外のものです。この時です。私は初めてゴミを体感していました。
毎日無くてはならない必需品も、時と場合によってはゴミとなってしまう。第一、捨て方からしてわかりません。
例えば、冷蔵庫。
私がとまどったのは、その大きさ以上にほかの理由があったからでした。
アパート暮らしを始めた当初、まだ私は冷蔵庫とは無縁の生活者でした。経済的な理由から早くにして自炊方式を取り入れていた私は、その日の食べ物はその日に食べ尽くす。
『宵越しの食べ物は持たない。』
これぞ賢い消費者。そんな信条を胸に生活していたもんです。
ところが、春が過ぎ、梅雨が明け、夏が来てする内、体の変調を感じるようになりました。体のいたるところに感じるかゆみと、にきびのような吹出物です。
早々訪ねた皮膚科の医師の意見は実に説得力のあるものでした。
『毎日、カレーやインスタントラーメンばかり食べているんだろう。これはれっきとした栄養失調だ。野菜を食べなさい。野菜を!・・・』
通院を続けながら私の頭は徐々に冷蔵庫に傾向するようになりました。
『いつかはオレも、いかした冷蔵庫で・・・』
それからしばらく、私の6畳間に冷蔵庫がやってくる日がきたのです。
私はなんでも冷やしました。
実に便利なものです。
当たり前と言えば実に当たり前のことなのですが、憧れの度合いが強いほど、切実な願望がつのればつのるほど、ありきたりのトレースも偉大に思えるものです。
その日以来、庫は私の健康と家計を守ってくれました。これぞ、文化的生活。私の生活レベルはなにもかもが向上しました。なんと言うか、こう、すべては前向き。積極的と申しましょうか。あらゆるジャンルにポジティブな建設的生活者。ただ、ひとつ悪く変化したのは私の怠慢心だけです。
『庫に入れればなんとかなる。』
あまりに庫を過信しすぎた私は、なんでも納めては、手近な安心感を得ようとしました。食べ残しを次々入れるので、庫外に食器の姿がなくなったほどです。もう、こうなっては庫はブラックボックスです。まるで、6畳間の一角に便利な底無し穴が出現したも同じです。
しばらく・・・
腐りかけの玉葱はいつの間にか新芽を出し、庫の内部でとぐろを巻きます。数週間前のカレー鍋は、蓋を開けると青いほこりを巻き上げます。3ケ月前の納豆は糸を引くことをやめ、純粋な生ゴミの臭いを出すだけの芳香剤と変化していました。
それに気付いた時には、すでにいまさら足の抜けない状態でした。電気を切ってしまうなどもってのほかです。低温がゆえ、かろうじて収まっている事態は、いったん緩めたら、二度と鎮圧できないように思えるのです。
私はそれ以上を知りません。いや、知ろうとしなかったと申し上げた方が、なお、正直でしょう。
以来、庫は、日夜、生ゴミだけを冷やし続ける電動粗大ゴミとなったのです。・・・・