

『危険な香り』
お盆休みの一日行きつけの英国風パブへ行った。お盆休みにもかかわらず店内はほぼ満席だった。スコッチのソーダー割りをパイントグラスで作ってもらい飲んでいると、常連のAさんがどこからか入手してお店に差し入れた年代物らしいレミー・マルタンをご馳走してくださった。美味しい飲み方があるとかで、オーナー兼バーテンダーのB氏が、やや丈が高いショットグラスにレミー・マルタンを注ぎ、レモンスライスをグラスの上にかぶせるように置き、レモンスライスの上に一匙砂糖を盛って出してくれた。砂糖が盛られたレモンを口の中に放り込み、咀嚼しながらグラスのレミー・マルタンを一息で飲むのだそうだ。レモンの上の砂糖がコカインに見えてしまい、今と同じように芸能人の違法薬物のニュースが連日報道されていたので、B氏に「ストローかUSドルのピン札ありますか?」と冗談を言った。冗談の意味が分かったカウンターの他の常連客とAさんは大笑いしていた。こんな不謹慎な冗談は素面ではとても言えない。初めて試したその飲み方で飲んでみると、レモンと砂糖とブランデーのためか、何となく高級洋菓子にこういう味がありそうだなと思った。
日本では固く禁じられている違法薬物だが、その違法の程度は各国様々なようだ。
トラベラー各位も様々な旅先でその違いを感じたことがあると思う。
僕が所謂違法薬物を身近に感じたのは高校1年生の時だった。年末にハワイへ行き、一人でワイキキのカラカウア通りを歩いていると、肌の色が黒くキャップを被った男性に「マリファナいらないか?」と声を掛けられた。最初は何を言っているのだろうと思ったが、瞬時に言われていることを理解し首を横に振って足早に立ち去った。滞在中何度も同じような雰囲気の人達に声を掛けられたが段々と余裕を持って拒否できるようになっていった。その頃から熱心にロックを聴いていたのでロックミュージシャンのドラッグにまつわる話はたくさん読んでいた。場所がハワイだったとはいえ、やはり欧米は日本と違ってドラッグは身近にあるのだなと思った。
新学期が始まって同級生たちに久し振りに会ったときに、「ヤクの売人に声をかけられちゃったよ!」と半ば自慢げに話したのを覚えている。その後映画やドラマ等で売人に扮した警官による囮捜査のシーンを観るとその時の事を思い出し、売人が囮捜査官で、もし英語が分からずにYesと答えてしまったら逮捕されていたかもしれないと思うことがよくある。
まあ、僕は観光客だったから例えYesと答えてもそんなことはなかったとは思うけれど。
1988年の夏、ニューヨークの郊外にあるロングアイランドの英語の学校に通った。1ヶ月寮に入って授業に出た。ルームメイトは僕より先に来て前から始まっているコースから取っていたイタリア人のRだった。適当で軟派な奴が多いと思っていたイタリア人にもこんなにいい奴がいるのだなと思ったほどいい奴だった。彼は今でいうイケメンで当時寮にたくさんいた日本人の女性達に人気があった。部屋へ戻るたびに必ず部屋に日本人の女性が数人いて話をしていた。時には宵っ張りの僕もさすがに眠りについた後でも自分達の部屋に帰らずに居座ってワイワイやっていた人達もいた。後から聞いた話だが、一日Rは堪りかねて「もうHideが寝ているから静かにしてくれ」と言ったらしい。
「何だ、いい奴じゃないか」とその時思った。イタリアでバンドを組んでいてドラムをやっていたRは、寮にいる間に知り合った日本人女性達の影響か、日本に興味を持ち始めたようで、自分のドラムスティックで熱心に箸の練習をしていた面白い一面も持っていた。
マンハッタンで買ってきたばかりのCDプレイヤーを貸してくれたりもした。
ある日授業が終わり部屋に戻ると、トロンとした目付きのRが、「Hide、ごめん、今マリファナを吸っていたんだ。」とフラフラになりながら言った。これが俗に言う「ラリった」とか「ハイになった」状態なのだろう。確かに部屋の中は何日か前に行ったマンハッタンのジャズクラブで嗅いだ匂いと同じだった。ジャズクラブ内のマリファナの匂いは強烈でしばらくすると強烈な睡魔が襲ってきた。何でマリファナだと分かったかというと、何かで読んだか同行した人から聞いたのだと思う。僕はドラッグの類は試したことは一度もないがその時の強烈な睡魔は今でも覚えている。服用している人はきっとこれで心地よくなっていき止められなくなるのだろうと思った。Rの横には同じイタリア人がいたが、彼も目付きが怪しかった。Rの謝辞に何とも答えられず、笑ってごまかしてしまった。Rがマリファナを母国イタリアで常用していたかも、そういったドラッグに対する認識がイタリアと日本ではどれだけ異なるかも今でもよく分からない。しかし、アメリカではこうして簡単に入手出来てしまうところに認識の違いというか文化の違いを見た気がした。
Rは僕より一足先にコースを終了してイタリアに帰った。寮を出て行く日に迎えの車まで彼のスーツケースを運んだ。さよならを言った瞬間Rは涙ぐんでいた。
Rのところへ一番出入りしていた日本人の女の子が「Rがイタリアの家族へ書いていた手紙に日本人のルームメイトのHideはとてもいい奴だと書いていたわよ」と言っていた。
帰国後しばらくRと手紙のやり取りが続いたが音信が途絶えて久しい。
薬物は中毒になるとどんどん刺激の強いものを求めるようになり量も増えていくという。
違法薬物の事件報道に触れると必ずこの1988年の夏のロングアイランドでの1ヶ月を思い出す。思い出すと同時に異国で出会い音信が途絶えてしまった友人が薬物なんかで命を落さずに元気でいて欲しいと切に思う。