

コレクター 4
修理室はまるで夏などなかったように、あのときのまま私を待っていました。
私は端の4番目の椅子に目をやりながら、なんとなく彼が座った3番に腰を降ろしたりしています。
「修理の受け取りに来たのですが、遠藤さんはおられますか?」
「遠藤ですね、少々お待ちください」
私は4つ並んだ椅子のうち、私の座る3番だけが他より低いことを発見したりして待っています。
しばらく…、
「どうもお待たせいたしました。毎度、当修理室をご利用いただきありがとうございます」
白衣姿の年輩の店員です。あの蒸し暑かった夜の店員です。彼が「遠藤」という人物なのです。いまとなっては亡くなった彼と、奥方と、私を一直線上に並べてみせた張本人です。
「長いことお預かりして、まことに申し訳ありません。
これになります。ロンジンの手巻きの。きっと、なにか謂れのある品なんでしょうね。大変きれいに使われておられて…」
私は恐る恐る手に取って、眺めています。
じっくり眺めるのは初めてです。なるほど確かに切手一枚分ほどの大きさです。その中で幾つもの歯車がゼンマイの力を受け継ぎ、針を動かしているはずです。
ガラスはよく見るとアクリルガラスのようです。なるほど、無数のひび割れが走っていて、アクリル材の耐用年数も限界に近いのでしょう。何よりも圧巻なのは文字盤の汚れ具合です。40年も前の物だからといってしまえばそれ切りですが、いつかの彼の言葉を思わずにいられません。
「あまりに古すぎる…」
半年近く使う気になれなかった由縁の一言です。
40回の春夏秋冬になりますか。時計はもちろん非防水です。40回の夏場の汗も染み入ります。40回の冬場の大気がゆっくり乾かします。季節に関係なく、雨も降ったことでしょう。誤って水に落としたことも2度、3度。日光に照らされ、月明かりに照らされ、40回の四季の内訳は数限りありません。結果、文字盤には錆ともカビともつかない染みがはびこり、ボディの金色と見事なコントラストを示しています。
どことなく例えは悪いですが、一度、炉で焼いた品物というのが一番近そうです。そして、確かに「ガラクタ」なのです。
「針の修理だったのですが、長針の方ですね、いかがでしょうか?…一応、ご確認ください。
いろいろ別の針も探してみたのですが、やはり当時の規格のものは探すのも難しいですね。なんとか、元の針を溶接したんですが、よほど、大切なお時計のようですね。なにか形見とか、特別なものなのでしょうか?」
「形見?…、そうですね。形見ですね。そんなところですよ」
私は彼も立ったという駅のホームに立ち、初めてネジを巻いてみます。
リューズは平たく、ギヤ山も擦り切れているらしく、チリチリと実に頼りない感触で次第にきつくなります。何回巻いたのか数えることも忘れ、手を離します。今にもゼンマイが切れそうで、とても思い切り巻くことなどできないのです。
大体、巻き方がよくわからないのです。リューズを摘み、巻いて、放す。ふたたび摘んで、巻いて、放す。多分これは自動車のハンドルにすると送りハンドルなのでしょう。いつだったか、彼が何気なく巻き上げてみせたなめらかに連続した仕草とはよほど違うのです。
ホームから見上げると、なるほどさっきの修理室のあるデパートが真正面に見えています。
私は、彼だったら今回の修理に満足してくれただろうかを考えながら、デパートの上空を眺めてみるのです。
*
*
電車は順調に運転を続けていたらしく、私の街までもう2駅ほど。ふと、目を覚ました私は膝で組んだ手首に目を止めます。それは通勤鞄を大切そうに押さえている手首です。四角い切手ほどの時計です。
いやな予感がして、その切手ほどの面積に目が走ります。文字盤の針は長針です。動いているようです。目盛りの25縲鰀26分のところをまっすぐに指し、途中休んでいた様子はありません。針は本当に直って、時計は順調に動いている証拠です。電車に乗ってそろそろ1時間。もうすぐ私の街に着く時間です。
「おやっ?」
なにかが目をとらえました。
違和感が何かの変化を知らせています。
私はそれが文字盤のどこかからか探しています。
スモールセコンドと呼ばれる小さい秒針です。文字盤の6時の上の位置に配置された小さな四角い計をゆっくり回っています。
今、ちょうど、直ったばかりの長針がその上空を通過中。長針の下で人知れず回転しています。
確かにそいつが一瞬止まったのです。そして、あわてて追いつこうとピクンとスキップしてみせたのです。
やがて、長針は何事もなかったようにゆっくり上空を横切り、視界が開けます。
私はとうとう探し当てました。それは規則正しく回転を続けるスモールセコンドがその計の20秒あたりに差し掛かった時の一瞬です。
これは発見です。
以前からこうだったのか、今回の修理以降始まった現象なのか、私には判断できる材料がありません。
今度の病名は「針飛び」です。
まるで彼の時計は生きていて、一分に一回ウインクしているようです。これは私が独自に探し当てたロンジンからのメッセージです。
私はその欠陥にすっかりうれしくなってしまいました。まだまだこの時計には続きがありそうです。
この感覚はどうでしょう。どこからやってくるものでしょう。私にとっては初めてのもののようです。新鮮です。
さあ、彼は物語を組み立てていたのではないでしょうか。筋書きのないストーリー。対象物は本当はなんでも良かった。ひとつの物品に乗せた数々のエピソード。どんな対象物でも世話をすれば次第に、無二のもの、唯一のものとしての衣を羽織り始めます。
ある時は、その物は自分自身の投影であり、ある時は自分だけの世界のモニュメントであったかも知れません。
私の使命はさらにストーリーを続けるところにあるのでしょう。形見、遺品、そんな止まったものにしてはもったいない。現に腕のロンジンは、人間に例えれば不整脈を患いながらも、生き続けているところです。
今度は私に向かって、
「もっと面白い話があるんだよ」
「黙ってオレに付き合ってみないか?」
と、ウインクを飛ばしているのです。でも、時計は水先案内人に過ぎません。新たな世界でストーリーを組むのは私自身なのです。
彼が集めていたものは、まだ、彼の見たことのない世界。そこで繰り広げられる人間のドラマだったようです。
私はロンジンの遅進の感覚をつかむところから始めることにしました。彼が探り当てた18回という巻き回数も、一度、仕切り直しの覚悟です。そして、あの修理室の少し低い3番目の椅子に、今度は私自身として座ることに決めました。それは、純粋にこのストーリーの先を眺めてみたいからに他ありません。
私は、彼の奥方に手紙を送りました。
ダラダラと長い手紙です。
前略
私は日頃手紙など書き慣れていません。
乱暴な書き方に思われるでしょうが、そんな非礼も恐れず書かせていただきます。
彼とは長年一緒に働いてきましたが、なかなか自分から心の中を見せようとするタイプではありませんでした。自分だけの世界を大切にしている人物でした。
<<中略>>
私はこの発見がうれしくて仕方ありません。
彼が教えてくれたコレクション。
失礼ですがいまいち、女性の方には理解しがたい世界なのかも知れません。
以前、こんな話をしてくれたのを思い出します。なんでも、田舎におられた彼のおやじさんの言葉だそうです。
「男は、10代、20代は女だ。性欲だそうです。
30代、40代は物欲・金欲に走る。
50代、60代になると木に愛着を感じるようになる。
70代は今度は石に惚れ込むようになり
やがて黙って土に還るんだそうです。」
女性の方には大変失礼なのですが、これが男らしい純粋な姿だそうです。
彼も物欲から離れて、そろそろ木や自然に愛着を持てる時期にあったのかも知れません。そういう私自身、彼に「物」の別の見方を教わったばかりで理解できていませんが、彼の後を引き継ぎ、もう少し自分を磨かないと見えてこないのでしょう。目鼻つく頃には、是非、またお伝えしようと思っております。
早々
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終