

コレクター 1
私が彼と時計屋に行ったのは7月の蒸し暑い夜のことです。…
「修理お願いします」
彼はそう言うとカウンターに4つ並んだ3番目の椅子に座りました。私は自然と一番端の4番に座ったのを覚えています。
ここはデパートの時計売場。フロアーの一番奥にある相談コーナー。私にはそんな風に映りました。
「お待たせいたしました。当修理室をご利用いただきありがとうございます。電池交換ですか、修理ですか?」
年輩の店員が出てきて、カウンター越しにそう尋ねます。なぜか白衣姿です。いかにも正確な仕事をやりそうに見えます。
「修理をお願いしたいのですが、これなんですが」
茶色い革バンドの金色の時計です。
「それの長針なんだけど、針が折れてるでしょう。どこか文字盤の隅っこにくっついていると思うんだけど」
その間に年輩の店員は手慣れた手付きで裏蓋を開け、時計の中身を取り出しています。切手ほどの大きさの四角い時計です。後は四角いガラスのはまった上ケースの中に時計の機械部が弁当のように詰まっていて、
「ぽんっ」
とは音はしませんが、白衣の店員がひっくり返すともう丸裸です。
ここに、裏蓋、ガラスのはまった上ケース、文字盤の付いた機械部。3つのパーツに別れてビロードの受け皿 に乗っかっています。
「はは~ん、これですね」
白衣の店員が上蓋のガラスの隅にあった折れた針を発見しました。ピンセットで摘み眺めています。3ミリほどでしょうか、これも金色の針。まるで爪の切カスのようです。
「針だけ折れたんですか?」
「ええ、そうです。自然に…」
「しかしこの針、溶接っていうのも難しそうですね。しかも、かなり古い時計ですし、40年は前のものでしょう。同じような針がありますかどうか?」…
彼がそのロンジンを発見したのは、オフィスのある新橋の烏森通りから少し入った平屋の時計店。昼休み革ベルトを眺めに立ち寄った彼は、古いショーケースに並んだ時計達の中にそいつを見つけたのです。
ロンジン・50年代・手巻き・角ドレス
14K無垢側・スモールセコンド
(正午・6時のみ数字入り)
そのロンジンは売り物ではなかった。それは先代の店主が長いことはめていたという一品。舶来品と呼ばれていた時代に店主が買い求め、それ以来数十年。今は現役を退き、置き場所がわりに店のショーケースで休ませている物なのでした。
若主人が語るには、いわゆる金時計と呼ばれる物は18K無垢を指し、ロンジンという銘柄もロレックスやパテックフィリップなどの名品に比べれば5番、6番。
パテックフィリップ・ロレックス・ジャガールクルト・バセロン・ウォルサム・オメガ・ロンジン・IWC・エルジン・CYMA…こんなランキングがあるそうです。私の知らない世界です。そして、超一流でもなく、駄品でもない一品は売り物にはならないという原理。これも私には未知の理屈です。
しかし、彼はロンジンが忘れられませんでした。なぜかはわかりません。忘れられなくなったそうです。それから彼は何度も時計店に足を運んだそうです。新橋は烏森通りから少し入った昔ながらの時計店です。