

倉敷
出張の帰りに倉敷に立ち寄ります。残されたタイムスケジュールは3時間余り。先ずは大原美術館へ直行します。美術館筆頭の「受胎告知」。実は私自身あまりこの作品に期待を持ってはいませんでしたが、実物を見て驚きます。一瞬画面の稲妻に打たれたかの感触を覚えます。宗教心のない私でさえ、この絵の前に跪きたくなるような、厳粛な気持ちになり、しばらくここに佇みます。天使ガブリエルからキリストの受胎を告げられる場面ですが、後程私もこの場面に遭遇します。
月と六ペンスを読み終えたばかりでゴーギャンにも関心が出てきた矢先の「かぐわしき大地」。緻密な点描を目の当たりにして絵の前を何度も前後した「アルプスの真昼」。我、愛する熊谷の「陽の死んだ日」は熊谷の心境が筆に現れ、胸の詰まる思いになります。ここにあったとは知りませんでしたので思わぬ出会いです。エネルギッシュなクールベの「波」は西洋美術館にあったのですが、「秋の海」も楽しみにしていた作品でしたが貸し出し中のため、鑑賞できません。『そのかわりにマネの「薄布のある帽子をかぶる女」が帰ってきましたよ』と係りの人が慰めてくれます。これは未完なのでしょうか。ちなみに内田光子氏のエピソードも読みましたので、未完ではないのでしょうね。共に絶筆でないことも合わせて考えるとマネはここで完成し、シューベルトも交響曲第八番の第二楽章でやはり完成したのでしょう。そういう意味では芸術家は時に我々に意地悪をします。林武の「梳る女」には50年以上前の作品とは思えないモダンさがあり、青と赤のセーターのコントラストが女性の火照った皮膚をさらに赤く輝かせます。初対面で魅了されます。
このように名画の数々を夢中で鑑賞するうちに大きなミスをおかします。ただそれが発覚するのは、まだ後のことです。
館内2週目の鑑賞を終え、17:00少し前にカフェ・エルグレコに飛び込みます。まもなく閉店というのに快く迎えてくれます。大きなテーブルの片隅に座り、コーヒーを飲みます。ふとテーブル上のヤブ椿の向こうの受胎告知に目がとまります。美術館を出たあとの余韻を充分に感じる事が出来る空間です。
閉店時間も過ぎた為、残るはこの迷惑な客のみです。従業員の方に急遽立ち寄った倉敷の魅力と観光ポイント・夜のお店までの情報を入手し、倉敷でのあと2時間を大切にします。
カフェを出て、倉敷川沿いのおみやげ物・郷土玩具・民藝・街並みに溶け込んだ公衆トイレ・造り酒屋・アイビーハウスなどゆったりと散策します。ここで時間も気になり、左ポケットの切符を確認します。特急券を見てあと1時間の猶予を確認します。ところが乗車券が見当たりません。どのポケットを探しても出てきません。きっと観光地図など出し入れするときに落としたのだと思います。
このあとの夜のお店はキャンセルします。「1時間どうしようかな~」と考えているうちに私の頭に稲妻が走ります。大原美術館の鑑賞に夢中になったあのときに落としたのではないかという神からの告知を感じます。早速引き返します。到着したときには当然木戸は閉まっています。
ところが何と言うことでしょう木戸の向こうに天使ガブリエル(従業員)が現れます。天使にこの話をしますと、すぐに館内に引き返し、右手にチケットを握り舞い降りてきてくれます。「あなたが本当に天使に見えます。」と言うと、微笑みながら「倉敷を存分にたのしんでください。」との暖かいお言葉を頂戴します。
その後、うれしさの余り、諦めていた夜の街に消えていったのは隠しようもない事実です。築250年の居酒屋を発見するのは、たやすいことでした。梁と同じくらいぶ厚い1枚板のカウンターに座り、地ビールの独歩で乾いたのどを潤します。つまみはままかりの酢漬け・わらびたまご・鴨なべ。その内、従業員の許可のもと、250年の木の感触を確かめます。柱・梁・格子・扉などべたべたとさわったり、コンコンと叩いて音を確認します。傍からみるととても変な人です。そうこうしているうちに新幹線の時間も迫ってきました。従業員に丁重にお礼を言い、倉敷の夜風に触れます。蔵町を抜け、商店街の一角で酒屋さんを見つけ、地ビールを購入します。倉敷の天使達に別れを告げ、改札をくぐります。