『至近距離』
時代がレコードからCDに変わった現在、レコードで持っていながらCDで再び買ったものが随分ある。さらに、ベスト盤の類はおまけで収録されているボーナストラック等に釣られて出る度に買ってしまう。レコード会社も限られたマテリアルを「何とかリマスター」だとか「紙ジャケット」などと有効利用してこちらを攻め落としてくる。そんな出る度につい買ってしまうアーティストの一人にEricClaptonがいる。
1992年2月、当時勤めていた会社の同僚と有給休暇を取ってロンドンへ行った。僕にとってイギリスは約5年振り。大学2年の夏休みにホームステイをしたり学生寮に入って英語学校に通った時以来だった。同僚とはロンドンを拠点にして基本的に別行動をした。
同僚は学生時代に訪れたという所を回っていたようだ。僕は電車に揺られて郊外のコルチェスターまで行きホームステイ先を訪ねた。ロンドンでは当時授業をサボって行った床屋を訪ねて散髪もした。コルチェスターへ移動する前に2泊したハマースミスも再訪した。数年後に名前が変わるといわれていたコンサート会場 “Hemmersmith Odeon” を写真に収めることも出来た。本物のパンク達がたむろしていたため遠回りをしないと辿り着けなかったホテル近くのパブにも行った。ギグは観られなかったが Marquee Clubで記念品も買った。
一日同僚とOxford St.にあった(当時)Virgin Mega Storeに行った。CDを物色した後で地下に行った。そこではロンドンで開かれるコンサートのチケットが売られていた。
その中に、Eric Claptonと Elton John のジョイントコンサートがあるのを見つけた。コンサートが行われるのは6月。休暇が再び取れる保障は無いが、来られなくても思い出になるだろうと我々はチケットを購入した。これが後に英国で下した大英断になるとは二人ともその時は全く思わなかった。
1992年6月、奇跡的に休暇が取れた我々はロンドンの Wembley Stadiumにいた。前座が二組演奏した後でEric Clapton 登場。既にステージ前には行かれる状態ではなかたので、距離はあったが正面を向いていた自分達の席で観た。知っている曲ばかりが次から次へと続くというのは凄かった。一番聴きたかった “Wonderful Tonight”も陽が落ちかかった頃に演奏されて素晴らしかった。
この曲に出会ったのはアメリカのテレビドラマ “MIAMI VICE” の中だった。主人公の Don Johnsonが自分のボートハウスで落ち込んでいると同僚の女性刑事が慰めに来て背後にこの曲が流れた。曲の内容とドラマのその場面がしっかりとリンクしていた。その後この曲を効果的に巧く使った映画やドラマには出会っていない。その日トリだったElton Johnも素晴らしかった。やはり、知っている曲が途切れないショーというのは凄いと改めて思った。アンコールでQueenのBrian Mayが出てきて皆で ”Show must go on” を演った。その年の4月に行われたFreddie Mercuryの追悼コンサートも同じWembley Stadiumで行われていた。イギリスならでは顔ぶれでのアンコールだった。
約8年後、大変お世話になっている方に格闘技の “PRIDE” にご招待いただいた。いただいた席は一席10万円のロイヤルリングサイド。周りは有名・著名な方々ばかり。休憩が明け後半戦が始まったころ、係員に誘導された人がすっと通路側に座っている僕の真横に立った。誰だろうと思って横を向くとそこには外国人の男性が一人立っていた。
まさかと思い本当に驚いた。その人は何とEric Claptonだった。
隣にいた鰻屋の女将さんに肘でそっと突付いて知らせると、すぐに事態を飲み込んだ女将さんが声を出さずに目を大きく開いて僕の右腕を叩き続けた。桜庭選手のファンであるClaptonはお忍びで観戦に来ていたのだった。結局係員の誘導ミスで彼の席は我々の席からさらにリングに近い席だった。ロンドンではアリーナで観られなかったEric Claptonを埼玉のリングサイドで、それも真横で見られるとは思わなかった。彼も自分のコンサートをロンドンまで観に来た日本人が目の前にいたとは考えもしなかっただろう。その時以来、Eric Claptonとは縁があるなと勝手に思い込んでいる。
★執筆時BGM :
“Clapton COMPLETE CLAPTON” Eric Clapton/“ONE MORE CAR ONE MORE RIDER” Eric Clapton
“No Sleep ‘til Hammersmith” Motorhead/“The Joshua Tree” U2

