

『Bell Deskにて・7』
前作は上海、北京、香港、台北と周った出張旅行の際の香港と台北での打ち上げの話だった。今回はその話から多少続いている。登場人物等は前作『打ち上げ』をご参照願いたい。
その話が掲載されたのは2023年2月3日。その日は金曜日だった。仕事から帰宅すると、郵便受けにやや大きな真っ赤な封筒があった。海外からのカードだと思った。
差出人は”Foxx Family” となっていた。前作のキーパーソンであったRichardと奥様のBrendaさんからのグリーティングカードだった。
グリーティングカードといえば、メッセージが一言にサインが普通である。しかし、いただいたカードの予めメッセージが印刷してあるほうとは反対の余白にたっぷりとご夫妻の近況が書かれていた。
年末には日本の年越しそばよろしくうどんを食べたこと、年始にはアメリカ南部(Richard夫妻はテネシーに在住)の風習に習って黒豆を食べたことなどが書いてあった。
日本のおせちにも黒豆はある。興味のある方は是非日米の黒豆の調理の違いを調べてみてほしい。
「うどん」はひらがなで書いてあった。日本語学習は続けているようだ。
きっと器用に箸を使ってうどんを啜ったのだろう。箸を使う食事を一緒にした欧米人はこれまでたくさんいたが、Richardの箸使いは間違いなく一番だと思う。
Richard夫妻から届いたカード。表紙のメッセージが秀逸。グリーティングカードはやはり欧米。
仕事の難航が危惧されていた中国二都市(上海・北京)を終えて香港に降り立った。特にアメリカ人二人、RichardとPhil、は中国で感じた独特の緊張感から開放されているように見えた。その特異な感じには慣れているはずの僕でさえ香港に着いたときはホッとしていた。1998年当時は既に返還後の香港。同じ中国でも西から来た外国人にはまだまだかつての「イギリス領」だった。
香港での宿泊は香港島のコーズウェイベイにあるザ パークレーン香港だった。現在はザ パークレーン香港 ア プルマンホテルと名称が変わっている。
香港での滞在というと、仕事でも休暇でもずっと九龍サイドであった。
航空会社に勤めているときの海外出張の際の宿泊は基本的に客室乗務員と同じ所謂クルーホテルである。
現在の空港(当時は新空港。僕のように返還前からの香港好きにはいまでも「新空港」かもしれない)になってから状況が変わったようで、クルーホテルがその香港島のパークレーンになった。客室乗務員の移動は。きっとコーズウェイベイからの空港へのハイウェイへのアクセスが九龍サイドのホテル街からより良かったのだろう。
「基本は客室乗務員と同じホテル」というのは会社とホテルの間で宿泊費の取り決めがあり格安だったから。このルールのおかげで各都市の様々なホテルに格安で宿泊できた。
「いいとこ泊まってんなぁ〜。ホントに同じ会社の社員かよ・・・。」と思ったのは、この香港のパークレーン、ソウルのヒルトン(南大門のそば)、シンガポールのマーチャントコート(クラークキーとボートキーのそば)、高雄のグランドハイライ(デパートに直結)、マニラのマニラホテル(国賓が滞在するところ)、グアムのヒルトン(目の前がビーチ)、上海のウエスティン(館内は中国ではなく欧米)といったところか。空港に隣接したエアポートホテルがあるのに・・・。労働組合の強さを見た気がした。
都市によっては空港に隣接したエアポートホテルいうこともあった。しかし、パイロットだけはダウンタウンのある程度のクラスのホテルだった様子。パイロットの労働組合と会社との間で国際線での到着先のホテルのグレードの取り決めがあったのかもしれない。
「いいとこ泊まってんなぁ〜。」と思ったパークレーンは地下鉄の駅も、タイムズスクエアという複合施設にも日本のデパートにも近い。お食事処は決めるのが困難なほど豊富。
それから、ホテルの前にもショッピングセンターが入った複合施設があり、2フロア使った飲茶のお店があった。ここは当時でも少なくなりつつあったワゴンで点心を運んでくるスタイルのお店だった。
美味しくて数回訪れたが、いつ行っても前に待っている人が必ず数人いた。お店の名前は覚えていないが場所は覚えている。残っていたら嬉しいお店の一つである。
仕事を終えたその足で北京から香港に移動し到着は夕方だった。ホテルにチェックインをするとちょうど夕食時。アメリカ人二人は所謂ウエスタンなもの、サンドイッチ、ピザ、パスタ、ステーキといったものを食べたいと言った。彼らの食べたいものが全て用意されているレストランがホテルから一分も歩かないところにあった。
「せっかくの香港でウエスタンかよ・・・。」と思った。しかし、普段通りにナイフとフォークを使って食べ慣れたものをゆっくり食べている彼らを見ると、まだもう少し日程があるし、この食事で一息つけるのならと思った。この後ホテルに戻って解散となったら勝手知ったる目と鼻の先の「池記」へ海老ワンタン麺を啜りに行こうと思った。せっかくの香港だし・・・。
池記のショップカードと会計時に毎回次回使える割引券をくれたマネージャー氏の名刺・・・いや、この名刺を見せて割り引いてくれたのかも。
お店の住所のコーズウェイベイの漢字表示に香港マニアはグッとくる?
食事が終わり、ホテルに帰ってきてロビーで明日の集合時間を確認して解散。ロビーのすぐそばのバーへひとりで行った。ややスポーツバー的な明るい雰囲気。ここのバーは日本でいうお通しで出てくるビーナッツがガーリックパウダーとともに煎ってあって絶品なのだ。
そのピーナッツを肴にビールを飲みながらクールダウンをした。その日は目が覚めたのは北京であったことを思い出した。いまとなっては同じ中国だが。
部屋に戻る前にベルデスクに立ち寄った。パークレーンは初めてではなかったが、デザインが変わっている可能性もあるのでステッカーがあるか訪ねた。出してきてくれたものは以前のものと同じだったが、ありがたくいただいた。
二代目のRIMOWA(上)とも三代目のRIMOWA(下)ともパークレーンを訪れていました。
未使用のステッカー、パークレーンの封筒、絵葉書。海外で封筒や絵葉書のないホテルは残念。
東京で例えるなら、少々乱暴かもしれないが、九龍サイドは新宿で香港島サイドは丸の内プラス銀座といったところだろうか。
この話を書きながら次回再訪の際は香港島に久しぶりに滞在してみようかと思った。香港は何度も訪れているのでいまさらショッピングでも観光でもない。ガツガツ歩き回る必要はない。「週末弾丸香港」でもするなら九龍サイド滞在だろうが、そういうのは若い世代に譲りたい。
知らないホテル・いいホテルが香港島サイドにはたくさんある。次回は拠点を香港島サイドにして香港島をじっくり歩いてみたいというのもある。何度も訪れていながら香港島サイドは知らないところや訪れてないところがたくさんある。
しかし、間違いなく九龍のあのとても香港らしい雑踏が恋しくなるのは分かっている。それから、大好きなザ ペニンシュラも。あのインターコンチネンタルの名称がザ リージェントに戻ったというニュースを読んだ。訪れなくては。あえて何度も訪れたこの二つの自分の思い出の場所を香港島サイドから距離を置いて眺めてみるのも一興かもしれない。
九龍サイド滞在だと、ホテルから出ると瞬く間に香港独特のあの雑踏に飲み込まれていた。これが香港島サイドから九龍サイドに入るとまた少し感覚が異なるのである。そう、丸の内・銀座エリアから新宿へ入る感覚に似ているかもしれない。いきなり九龍ではなくジワジワと九龍を味わってみたい。
2019年が直近の海外で香港だった。次は香港以外でアジアならシンガポールか台湾、ベトナムのハノイ、アメリカならシカゴ、ヨーロッパなら未踏の地であるポルトガルとずっと思っている。しかし、「香港島」というワードのせいでその前に香港を挟もうか迷い始めてしまった。久し振りに行ってみるか、香港。