

『打ち上げ』
仕事初めの1月4日にこの話の準備も開始。書き出しに「お屠蘇気分もまだ抜けやらぬうちに・・・」とでもすべきだったか。
これまで日本企業での就業経験はほぼ皆無。在籍してきた外資系企業では、親しい同僚たちと仕事終わりに「軽く一杯」はあるが、忘年会や新年会など日本的な集まりはほとんどない。ベタベタした集いが大嫌いなのでこれ幸い。
しかし、外資系でもひと仕事終わっての「打ち上げ」的なものはある。
時は航空会社時代の1998年の初秋。アメリカ本社の同僚二人と上海→北京→香港→台北と出張旅行をした。たまに思い出しては微笑んでしまう「打ち上げ」がその旅行にあった。
<この話の主な登場人物>
Richard : 僕のストーリーではおなじみ。この出張旅行での仕事上のキー パーソン。
Phil : ITのスペシャリスト。この出張が初のアジア。
Doris : 元CAで香港の機内サービスのマネージャー。結婚式にも呼んでくださった大先輩。僕の家族とも面識あり。
Vincent : 台北の機内食会社の営業担当。客あしらいに長けたプロ中 のプロ。いまでも仲良し。
Johnny : Vincentの同僚で機内食搭載の責任者。Vincentの相棒的存在。現在もよく絵葉書をくれる。
勤めていた航空会社では、機内食のサービスで使う備品約400種類のコンピューターによる棚卸しシステムを開発・導入した。当時業界初だったとか。
アメリカ、ヨーロッパに続いてアジアでも乗り入れている都市の機内食会社にそのシステムを導入することになった。システム導入前からずっと食器材の調達をしていたRichardが総責任者。アジアは僕。
アジアでは各国の担当者を東京に呼んで説明会を開催。各々帰国後接続して棚卸しを決められたタイミングで都度入力してもらった。ダイアルアップが主でWi-Fiなんてない時代。
中国の方々はビザの問題で来日できず。香港と台北は導入後間もなく機内食の会社が変わり未接続。それぞれこちらから出向くことになったのがこの出張旅行。
Philがシステムへの接続をチェックし、事前に送っておいたマニュアルを元にRichardが使い方をおさらいするというのが各所での仕事。
アジアでそのシステムで何か問題が起きた場合は最初のコンタクトは僕。加えて各都市の担当者とは以前から業務を通じて旧知だったので、コーディネーター役として同行した。
各国各社の委託している機内食会社での食器材の棚卸しは全てRichardにレポートされていた。アジアの各社担当者の間でもRichardは知られていた。
スタートの上海、続く北京でも問題なし。中国ではインターネットの接続が懸念された。しかし、仕事の都合で我々とは別ルートで上海に合流したPhilが接続を難なく処理。順調に全行程の半分を消化し残るは香港と台北となった。
アメリカ人二人は上海でも北京でもいくらか緊張が見えた。やはり「中国」だったからだと思った。
香港に着くと二人は明らかにホッとしたように見えた。返還間もなかったが香港はまだまだ返還前と変わらなかった。
各所インターネットとシステムの相性にこの任務の成功がかかっていた。ITエンジニアのPhil的には中国以外はほとんど心配なかった様子。
その中国をクリアした。アメリカ人二人はこの出張のお楽しみはここ香港からと思っていた様子。Richardは返還後初めてで久しぶりの香港。Philはガールフレンドに頼まれたタグ・ホイヤーの腕時計が見つかるかどうかソワソワ。
業務は滞りなく完了。Dorisが海鮮料理のディナーに連れて行ってくれた。Philは腕時計探しのため不参加。Dorisはサプライズゲストで我々のかつての香港の同僚Brianを呼んでいた。打ち上げに嬉しい再会が加わった。
Brianは再会の数年前に同業他社へ転職していた。Richardからの様々な業務上のアドバイスのおかげで上手く滑り出せたとRichardに何度もお礼を言っていた。
Dorisが案内してくれたのは地元の人がいないと注文や支払いなどが少々難しいお店。僕はそれまでに何度も連れてきてもらっていた。後に母も弟も案内してもらい、我家の「香港の海鮮といえばここ」という場所になった。
写真は2005年のもの。1998年当時はまだまだデジカメは高価でした。
ほぼ同じメニューをいただきました。全て絶品。詳しい場所は追記に。
翌日台北へ移動。週末と重なり束の間のオフに。Vincentが休みなのにわざわざRichardと僕をマッサージに連れて行ってくれた。
僕はその治療のようなマッサージは二度目。Richardは肩こりが驚くほど楽になったと初めてのマッサージを大絶賛。Philは香港で見つからなかった腕時計を探しにどこかへ。
台北でもシステムは問題なく稼働。全ての任務完了。ゴルフクラブのメンバー専用のような場所で美味しい中華の会食。顧客のアメリカ本社から二人来ているので先方の上のほうの方々も出席。
細かく刻んだ肉や野菜をレタスで包んだものが出た。Richardは「チャイニーズスタイルのタコス」と言って大絶賛。いまでも自宅で再現しているそうだ。
会食場所のショップカードと2014年に別のレストランで再会したRichard曰くの「チャイニーズスタイルのタコス」ショップカードのレストランはもうないようです。
VincentとJohnnyに我々三人でもう一軒となり彼らの行きつけのアメリカンスタイルのバーへ。河岸を変えるのはアジア流だろう。欧米ではせいぜい同じ建物内でのお茶になると思う。
翌日は帰るだけ。アメリカ人二人はここでかなり飲んだ。
結局Philは腕時計を見つけることが出来ず、「香港で見つからないわけがない」と国際電話でガールフレンドに怒られたとのこと。ビール片手にお店にあったバドワイザーのバドガールの等身大パネルに話しかけたり、並んで写真を撮ってもらったりしていた。笑顔のままのバドガールは慰めてくれたのだろうか。
Richardは何故かバーカウンターに入りバーテンダーと並んでお酒を作っていた。バーの女主人は苦笑いで青い目の外国人二人を見守るしかなかった。
そのバーの女主人がくれた名刺。もらって25年経った現在も安っぽい香水の強烈な匂いが残っています。RichardとPhilももちろんもらっていました(苦笑)。持ち帰ったのかな?
店名が「めっちゃアメリカン」ですよね(苦笑)。もうこのお店はないそうです。
二人が寛いでいる様子に安心して、僕は外の空気を吸いに出た。戻るときに隣が焼餃子のお店なのに気が付いた。「餃子を食べながらサッポロを飲んでいると日本にいるのだと思う」というRichardに教えた。我々がいるのは台湾だったが。
Vincentが気を利かせて一人前買って持ち込んでくれた。ビールはバドワイザーだったがRichardはご満悦。いい打ち上げになった。
翌朝ホテルのロビーに集合。Richardは最後の餃子で飲み過ぎたのか風邪声。Philはまだかとエレベーターを見るとドアが開き、ヨロヨロと登場。挨拶もなくいきなり「アスピリンある?」と辛そうに一言。
そんなPhilを見てRichardが日本語で「Philサン、バカデース」と風邪声で一言。アメリカ人風邪声に頭痛。前夜ほとんど飲まずに二人を見守るという残業をして正解だった。
自社便の座席に落ち着くと、Philはすぐに毛布を頭から被り成田で別れるまで無言。その様子をみたRichardは無言で首を振るだけ。
この出張でキーパーソンだったRichard。自社便の都合でスタートの上海へは僕と一緒に北京経由で。北京で乗り継ぎの国内線が整備不良で3時間遅延。ゲートでお弁当、ペットボトルの水、魚肉ソーセージが配られた。
あのチューブ状のものを手にこれは何?と。フィッシュソーセージだと伝えると固まった。火の通っていないソーセージは欧米人にはあり得ない様子。それに原料が魚。無言で自分の分を僕に。「フィッシュソーセージ」としばらく独り言ちていた。初中国で遅延と魚肉ソーセージの洗礼・・・。
台北で帰国の自社便にチェックインの際に何故かRichardのブッキングだけなし。原因不明。各々事前に済ませていたはずなのに。
北京での魚肉ソーセージとの出逢い、香港で豪華な海鮮料理にかつての同僚との再会、台北で絶賛のマッサージ、ビールに餃子で二日酔い、帰国便の予約消滅と、後に語れる旅先での出来事はしっかり起きていた。
Richardの本当の打ち上げは帰宅して奥さんのBrendaさんが作るテネシーのお料理とクアーズでやれやれとなったときだと思った。
追記:
1.香港の海鮮料理のお店はまだあるようです。興味のある香港マニアの方は写真をヒントに是非探してみてください。場所は鯉魚門です。電話番号は最新ではないと思います。
2.これまで「みんなのストーリー」に書いてきた旅のストーリーはnoteでもご覧いただけます。以下URLよりご笑覧ください。読書記録もそこに載せています。
https://note.com/nostorynolife/
「おとなの青春旅行」講談社現代新書
「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿