

はじめてのVoyage
私の初めての海外旅行先は、フランス・パリだった。
映画『アメリ』が流行してから随分経っていたものの、アメリが生き生きと暮らしたモンマルトル界隈は絶対に歩いてみたかったし、オシャレなもの・素敵なもの・美味しいもの・この世のキラキラしたもの全てがパリに凝縮されているように思っていた。夢見るトラベラーにとって、パリは憧れの地だったのだ。
当時まだ中部国際空港にもパリ行きの直行便が就航していたから、海外初心者でも安心してシャルル・ド・ゴール空港に足を着けることだけは出来た。
ここから始まる、夢のパリ旅行!!
人生初の地獄のような経験をすることになるとは、その時はまだ知るよしも無く。
パリに到着したのは現地時間で夕方頃だったと思う。
ホテルで荷ほどきを済ませ、今の私だったら翌日からの観光に備えてすぐにお風呂に入り、充分な睡眠時間を確保する。いくら現地が夕方でも、日本を発ってから計算すると私の体内時計は夜中どころか明け方である。日常生活では、そんな時間帯まで起きていることはまず無い。
しかし、若さを過信し自分の限界も何も分かっていなかった往時の私は、ホテル近くのレストランへ、パリ初の夕食に出かけた。事前に調べていたそのレストランは、生牡蠣をメインとした生の貝類の盛り合わせが名物のお店だった。よりによって。
その後の展開は、お察しの通りだ。
現在お食事中の方は、以降ご注意いただきたい。
異変は翌日に起こった。
ルーブル美術館で定番のルートをめぐりモナ・リザと対面した後、なんだか体調が悪い。お腹の具合がおかしくて、頭痛とフラつきがある。
昨晩の食事のせいだとは、この時はまだ深刻に思っていなかった。むしろ、教科書で見た人類の至宝の数々を初めて目の当たりにして、その計り知れない作品の威力に当てられただけだと思った。
ルーブルを出てオペラ座に向かい、周辺をウロウロして日本人経営のうどん店を見つけ、日本語が使えてホッとしながら美味しいけれど高級なお値段のうどんを食べた。これで、憧れの重みに押しつぶされそうだった心とお腹の機嫌を取り戻せたつもりになった。
ホテルに帰って早めに就寝しようとしたところで、前触れもなく人間マーライオンと化した。お腹も、私史上最大級の下し方だ。用心して薬は持参していたし、体温計も持っていたから、熱を測ってみたら38.8度あった。
薬を飲んでも、止まらない。下がらない。
初の海外旅行で、憧れのパリで窓から見えるエッフェル塔に看取られながら死ぬかもしれないと本気で思った。ちょっと良いシチュエーションだが、ベッドの上で全く動けなくなった私は『こんな私がパリに来て、バチがあたったんだ』と思って泣いた。
当たったのはバチではなく生牡蠣だと思うが、自分の無鉄砲な行動ゆえの惨事だ。慣れない異国の地で体調を崩すことがどれだけ心細いかも、骨身に沁みた。
それから2日、ホテルの朝食にも出向けず、清掃の人の部屋の立ち入りもお断りして、買い置きの水分だけで過ごした。夢うつつをさ迷い、部屋の外が暗くなって、また明るくなったことくらいしか分からず、ただただ時間だけが過ぎていった。体調が戻らなかったら日本人医師がいる病院へ行こうと思ってはいても、いくら海外旅行保険に入っているとはいえ病院に行くという行為自体が不安で、自分の体力の回復をじっと待つことしか出来なかった。
そうして3日目が過ぎた頃、動いてもマーライオンにならなくなった。
人間が持つ自然治癒力を、これほどまでに実感して有り難く思ったことは後にも先にも無い。
ベルサイユ宮殿へ行くことも、エッフェル塔に登ることも、カフェめぐりや予約していたオシャレなレストランでのディナーも出来なかったけれど、旅の後半戦でようやくモンマルトルの丘へ向かった。
サクレ・クール寺院のバルコニーに出たとき、夢にまで見たパリの街を一望できて感動した瞬間、自分への情けなさが押し寄せてきたことと郷愁が胸をつき、号泣した。
調子に乗って生食の貝に当たった自分の浅はかさだけでなく、自分のこれまでの生き方の浅ましさを思い知った。
こんな自分を今まで愛情いっぱいに育ててくれた両親に申し訳なくて、今すぐに会いたくなった。なのに、日本は遠い。
一度泣いたら涙が止まらなくなってしまい、通りすがりの人にギョッとされてしまうくらい嗚咽し、噂に聞いていた観光客への勧誘が強いテルトル広場の画家たちにも泣き顔で応戦できた。
まさかモンマルトルの丘で自分の人生の来し方行く末を愁い、ホームシックも重なって号泣することになるなんて思ってもみなかったが、それと同時に、あんなに激しく心が揺さぶられる経験をしたのも、初めてのことだった。
気持ちが落ち着くまでボロボロ涙を流してからモンマルトルの丘を後にし、向かった先はオペラ座界隈のうどん店。
お店の人には「また来たの?」と笑われてしまったが、ランチもディナーでも通って、このお店のお世話になった。
初めてづくしで疲れ果てた私のピットイン先になってくれたうどん店のおかげで、滞在終盤はノートルダム大聖堂を堪能できたし、モン・サン・ミッシェルまで足を伸ばせた。
パリ最後の夜。
ムール貝を大量に食べさせてくれる店に行った。
ベルギー発のチェーン店だったが、ホテルの近くに店舗があることを事前に把握していて、一度は行ってみようと思っていた店だ。バケツで提供されるバター蒸しと白ワイン蒸しのムール貝に、山のようなポテトフライ、バゲットをペロリと平らげた。
火が通っていれば大丈夫。
私の好物は、貝だ。
これが、私の人生初の海外旅行の思い出。
滞在中ずっと「お前に、パリはまだ早い!この未熟者めが!!」と言われているような気がして、キラキラ輝くパリは私には眩しすぎた。
単なる被害妄想かもしれないが、再訪は『パリを堂々と歩けるような人間力を身に付けてから』と決めている。
目標設定に具体性が無さすぎるし、パリに見合う自分になれたかどうかの判断基準も曖昧だ。それでも私にとってパリは、簡単に足を踏み入れてはならない聖域となった。
『今の私は、パリに行ける?いや、まだまだだな。』そう思うことが、日常になった。
再訪は、人生最後の海外旅行の時になるかもしれない。
その時、私はパリで何を想うのか。
生牡蠣に再度挑戦するかどうかは、まだ考え中だ。