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追憶の旅路

追憶の旅路

2022/10:STORY
あい@ゆる旅人


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タイトル:追憶の旅路
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新型コロナウイルスが世界を席巻した3年前、旅行どころか通勤や日常の買い物ですら気軽には出かけられなくなったとき、未知のウイルスに対する不安と恐怖に苛まれながらも手にしたのは、あり余る時間だった。

積ん読を消化したり、疫病退散妖怪のアマビエを描いてSNSに投稿する流行りものに乗っかったり、ノートに些細な日常や自分の感情の揺れ動きを書き連ねてみたりと、意外にも快適な自宅時間を過ごす中で、ふと思い返すことが多かったのが過去の旅の思い出。
次第に時が遡っていき、しきりに心に留まったのは幼い頃の旅の記憶だった。
これまであまり思い出すことが無かった古い古い記憶が今になって鮮明に甦ってきたのは何故なのか、その時はまだ分からなかったけれど、現在の私の旅行趣味は、確かに子どもの頃の家族旅行が影響している。

当時まだ健在だった旅好きの母方の祖父母、両親と私の3世代家族旅行。
祖母が愛読していた『日本全国の温泉旅館』『憧れの名旅館』といったようなタイトルの旅行本を元に、祖母と母で企画・手配。父が当日の引率兼ドライバー、祖父と私は決められた旅程に従って黙って着いていく。
インターネットが普及していなかった時代、我が家の旅の情報源は専らテレビの旅番組か市販の旅行本・雑誌だったし、宿泊先の予約も宿に直接電話していた。予約の可否を早く知りたかったから、電話で先方と話す母の足元にうずくまっていたものだ。

今となっては、ほとんどが簡単にインターネットで予約手配でき、予約後にタイムセールがかかっていることに気付いて慌てて再予約とキャンセルを繰り返すというせわしないことをやっているものの、画面上には空室情報も金額もすでに表示されているので、宿泊先予約のドキドキ感は完全に薄らいでしまった。

しかも、ホームページや予約サイト、個人のブログ等で事前にしっかりリサーチすれば、宿泊先の外観や内装、水回りの細部に至るまで把握できてしまうので、いざ現地に行くと既視感が随所にあり、初めて来た気がしないこともしばしば。

それが私の子どもの頃は、じっくり眺められる現地情報と言えば本か、電話予約の時に送付依頼した宿のパンフレットと周辺観光情報付き地図くらいだったから、詳細に目的地の様子を伺い知るすべが無かった。
私は、この宿のパンフレットが大好きで、大抵は横にしたA4サイズ三つ折りの上質紙にハイライト写真と基本的な情報が載っている程度のものだったけれど、旅行出発前日まで何度も見返しては、現地で過ごす自分を空想して楽しんでいる子どもだった。

旅行の荷造りを始める段階になると、必需品の大半のパッキングは母に任せ、私は私なりに自分のお出かけ用バッグを持ち出してきて、柄を厳選したハンカチ・ティッシュペーパー、リップクリームとヘアブラシ、よく転ぶ子どもだったので数枚の可愛い模様の絆創膏を綺麗に詰めた。
そして、また出して、また詰め直す。
それを旅行当日まで、日々繰り返した。
普段はオシャレには無頓着だったのに、旅行となると急に子ども用おめかしアイテムを使いたくなる。
持ち物をお気に入りの柄で揃えたり、身だしなみにも気を使ったのは【旅の特別感】を味わうための、幼い私なりの自己演出だったのだ。
 



ただ連れて行ってもらい、無事に連れて帰ってもらっていただけの完全受動型旅行だったのに、今の私の旅の流儀にそのまま引き継がれている行動・思考パターンが多いことに気が付いた。

旅行中、立ち寄る先々でパンフレットやチラシといった紙モノを集め、史跡等にある石碑や歴史的な経緯が書かれた案内板の前で延々立ち尽くして熟読していた、万年筆愛好家だった祖父の行動はそのまま私に受け継がれているし、「旅を特別なものにしよう!」と準備段階から意気込むところは、幼い頃から少しも変わっていない。

『暮らすように旅する』『日常の延長線上のような旅』といったキーワードに惹かれつつも、内心、私には日常生活のような通常の状態で旅を楽しむことなど到底出来ないことは自分でも分かっている。
旅は私にとって特別なもので、特別な旅先で特別な時間を過ごす私自身も、また特別でありたいからだ。

このように【特別】に妄執した旅スタイルを確立させ、旅先の土地柄や店の雰囲気に合わせた装いをして立ち振舞いを変えることで、その時の気分まで演出してしまう私の旅行時の荷物は、着替えの量が増えるせいもあって必然的に多い。
ただ、寝ることだけに関しては、旅の特別感は排除して日常に出来るだけ近付けたいという矛盾も生じていて、タチが悪いと自分でも思う。

財布やカメラも持たずに、まさに小さなトランク1つだけで浪漫飛行出来てしまっていた子どもの頃の身軽さが、今となっては懐かしくてたまらない。
 



自分で経済活動が出来るようになってからは、特別感を更に得るための方法として、その土地では特別なストーリーを持っている宿泊先の素敵な部屋を予約するとか、ちょっと良いレストランに行ってみるとか、エイヤッ!と清水の舞台から飛び降りることが多々ある。
自分で存分に期待値を高めた状態で出発するので、「思ってたのと違う!!」と衝撃を受けることも、ままある。
下調べ中に目にした写真の撮影技術や加工技術が良すぎることが主な原因なのだが、【とっておきの、特別なひととき構想】が現地で崩落したときのショックはかなり大きい。
想定と現実の格差による心理的ダメージを何度か経験するうちに、心の処方箋を偶然にも小説の中で見つけた。
イギリスの作家ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の作中、主人公のエリザベスが旅先のことを思い描いた時の言葉だ。
この言葉は、のちにトラベラーズノートの存在を知り、旅の記録を残す習慣が出来てからというもの、リフィルの一番最後のページに書き写して旅行中の心の平穏を保つための御守り代わりにしている。



誰にでも、旅の期待に心を踊らせて裏切られる経験は付き物で、それでもまた人は旅に出るのだ。

新型コロナウイルスによって急に与えられた、自宅で自分との対話を繰り返していた期間は、過去との邂逅の時間でもあった。
それは、現在の私が持っている好みや思考が幼少期から培われ、脈々と今に繋がっていることに気付かせてもらえる、私の原点に立ち返るものだった。
私は、このとき確かに〈過去の自分からの贈り物〉を受け取ったのだと思う。

これまでの常識や世界のあり方が一変し、今まで見えなかったこと(見ようとしてこなかっただけの社会のカラクリ)が急に見えてしまったり、ものすごい速さで新しい価値観・新しい世界に駒を進めていく転換点に直面したとき、自分自身のブレない軸の部分を知ることが出来たことで、当初感じていた漠然とした恐怖心や無力感はさほど感じなくなっていった。

ウイルスと人間の攻防戦から共存へと動き出し、長かった回想モードから、将来のことを見据えた計画について考える時間が増えた今。
自分の人生の旅路が今後どちらへ向いていくのか、どのような道筋を辿るのか。
不安と期待が交錯する中で、少しずつでもまた前進していく希望を持てることに、今日を元気で生きていられることに、感謝出来るようになった。
以前は当たり前のように思っていたことが当たり前ではなかったのだと、こんなにも思い知らされたのはコロナ禍があったから。
コロナのおかげとは、絶対に言いたくないけれど。

子どもの頃からちっとも変わらない、でも前とは違う、ちょっとだけ良い方向にアップデート出来た新しい私!
これからまた、何を見て、何を見つけに行こうか。