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 『旅先でお仕立て・2』

 『旅先でお仕立て・2』

2022/10:STORY
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 この話は「みんなのストーリー」への投稿180作目。掲載していただけたら180ヶ月連続掲載。180ヶ月は15年なので、15年間毎月一作書いて、投稿して、掲載していただいたことになる。
 トラベラーズノートが世に出たのが2006年。公式サイト開設が確か翌2007年。公式サイト開設の年から掲載していだたいている。
 僕の「作家見習い」としてのキャリア(「見習い」だから「修行期間」とすべきか)はトラベラーズノートよりひとつ若く、公式サイトともに年月を重ねてきていることになる。
 一話書き終えて投稿した途端、「見習い」なりに習得してきたものを全て出し切ったと感じるときがある。前作『紐育者(ニューヨーカー)』がそうだった。
 投稿直後に久しぶりに脱力と疲労が合わさったものを感じた。その一方でかなり気持ちが昂り、強いお酒を結構飲んでもその昂りはなかなか収まらず眠れなかった。ストーリーを書くのはいつも楽しいはずなのに、なかなかこの話を書き始められなかった。それほどインパクトの強い心身のアップダウンだった。
 『紐育者(ニューヨーカー)』は、公式サイトの「みんなの投稿」と「みんなのストーリー」の画面上でアイコンを置いていただいた位置(画面上段の左端。アクセス数がかなり上がるので個人的に「ポールポジション」と呼んでいる)が良かったのか、掲載後約20日でアクセスが1,000に到達した。これは筆者として書き終えて心身に跳ね返ってきたインパクトと同等の手応えだった。
 かつては毎話掲載後約一月でアクセスは1,000に達した。いまでは何ヶ月も要す。活字離れはここまでも? 
 稀な展開となったのは、話の舞台がニューヨークだったせいか。僕の場合は筆者として4桁のアクセス数は「反応があった」と安堵する数だ。
 香港でワイシャツを仕立てた話が本年2022年7月にここ「みんなのストーリー」に掲載された。この話を仕上げている9月下旬時点でアクセス数は300と少々。驚愕。
 トラベラーズノートのユーザーは、トラベラーズノートを、程度の差こそあれ、自分好みにカスタマイズしている。服のお仕立てはオーダーメイド。オーダーメイドは言い換えれば、自分専用のカスタマイズだろう。それなのにこの反応薄さはどうして?と思った。
 国内外を問わず旅先では少々冒険心を持って過ごす。例えば、普段口にしない・できないものに挑んでみたり、日常とは違う過ごし方、所謂非日常を楽しむ。海外の旅先で服を仕立てるということは、自分を含めトラベラーにとっては非日常的なことで興味深いことだと思ったのだが。
 最近のトラベラーというか、このサイトをチェックなさる方の多くの旅先での過ごし方が変わってきているのだろうか。自分の旅先での過ごし方がいまではかなり特殊なのかもしれない。
 スマホで撮られた「旅先で映えたもの」のほうが旅先での体験談より関心を集める。それがこの令和の時代の現実だとしても、トラベラーとしては寂しい。
 僕は自分にはできない、自分とは違うことをなさっている方々の様子を興味深く面白く拝読するのが好きである。そこから知らなかったことを知ったときの喜びといったらないからだ。


この話をご笑覧頂く前でも頂いた後でも、未読の方は是非『旅先でお仕立て・1』もご笑覧ください。 

 今回も「お仕立て」の話を書いた。ずっと書いておきたいと思っていた話のひとつでもあったので。仕立てたものに愛着はあるにはあるのだが、結果的にこの話は失敗談だろう。その失敗談を読んで笑っていただこうと思った。興味を引くのは成功体験より失敗談のほうだし。
 航空会社時代に同期二組がハワイで結婚式を挙げた。いまから30年近く前だ。二組とも新郎新婦は同期同士だった。現地で中一日二日を置いての二組の結婚式だった。嬉しいことに両方の式に呼んでいただいた。
 ハワイの結婚式では、冠婚葬祭といってしまえるかもしれないが、服装は日本のように堅苦しくない。アロハシャツは正装とされている。実際に式の前日にワイキキで買ったアロハシャツを着て式に参列した同期もいた。
 休暇で香港を訪れたタイミングがよく、せっかくなので僕は結婚式に着ていくジャケットを香港で仕立てることにした。その休暇は11月。結婚式は翌年の1月だった。
 シャツは同じく香港で仕立てたものがある。ネクタイはかなり持っていた。ボトムス(使い方正しいですか?)も靴も手持ちのもので間に合った。
 香港にはテーラーがゴマンとある。どこのテーラーにするか?お目出度い席に着ていくのだからとペニンシュラにあるテーラーにした。当時26か27歳。若いって怖い。
 一回しか着ないものではなく、日本でもジャケットで過ごせるシーズンに着られて、海外の暑いところへ行く際も現地で着られるものにしようと思った。色は所謂「吊るし」にはなかなかない色にしたかった。
 様々なこだわりを胸に秘めていざテーラーへ。色はブルー、生地は麻を選んだ。ブルーも洒落ではなく色々あった。生地見本を見てそのとき一番ピンときたブルーにした。
 ワイシャツではないので翌日仕上がりは不可能。採寸までが精一杯だった。仕上がったら日本に送ってもらうようにした。
 国際郵便で届いたジャケットをハンガーに掛けて全体をチェック。「オーッ!」とはならなかったが悪くなかった。しかし、すぐに「あれ?」となった。
 生地がところどころ日焼けしていて斑になっていたのだ。とても結婚式には着ていけない。「おい、ペニンシュラ!」と思ったが、悪いのは店子のテーラー。FAXを交わし着払いで返送。数週間後仕立て直されて返ってきた。英語が通じなかったら泣き寝入りだった。


約30年前に仕立てたジャケットの現在の姿です。よ〜く見ると時間の経過が出ています。

 丁寧に畳んだジャケットが入ったスーツケースを携えてハワイへ。着込んで周りの反応に敏感になりながら二組目の結婚式に出席(一組目に着たものは流石に記憶にない)。遠慮が微塵もない同期のOが僕の格好を見るなり、「お前は漫才師かぁ!」と一言。撃沈。幼い頃からいい思い出しかないハワイが一瞬で大嫌いになった。「マイアミ・バイス」のドン・ジョンソン(分かりますか?)のイメージだったのに・・・。
 


「漫才師」といわれた格好はこんな感じだったと思います(苦笑)。靴は柔らかいローファーを素足で履いたと思います。そのときの写真を見ればハッキリしますが、見たくないです(苦笑)。
 


 


当日着たシャツは『1』で書いたこのシャツだったと思います。きっと不通ですが念のためテーラーのハウスタグにある電話番号は消しました。

 仕上がりでケチが付いた服は最後までケチの付き通し。その後やはり袖を通すことはなく、クリーニングに出しても落ちないシミが付いてしまった。ケチも付いたがシミも付いた。
 この話を書くにあたり、改めてそのジャケットを見てみた。せっかく仕立てたのに雑に扱ってしまったと反省。こうなったらボトムスをジーンズにして普段着で国内でも海外でもどんどん着ることにした。
 次回の香港再訪にはこのジャケットを必ず持参する。これを着てペニンシュラのThe Barを再訪する。
 調べたら仕立てたテーラーはまだペニンシュラの中にあった。The Barに行く前に訪れて、いまから30年近く前にここで仕立てた話をしようかと思っている。
 一般的には国際電話とFAXしか通信手段がなかった時代の話だ。サイズややり取りが記録された顧客名簿というものがあって、そこにまだ僕の記録が大事に保管されていて、あのときは・・という話になり、そのテーラーに対する機嫌が直るかもしれない。また何か仕立てたりして・・・。
 それともThe Barで飲んだあとに立ち寄って、同期のOに酷評された話も合わせてしてみようか。顧客名簿なんぞなく、ただの酔客としか扱われず、すぐに店からつまみ出されるかもしれない。いずれにしても、そのテーラー再訪が新たなストーリーを生むだろう。
 


ジャケットの内ポケットにある仕立てたテーラーのハウスタグ。ジャケットそのものより質が良いのか現在もこの通り傷みもなく健在です(苦笑)。そのハウスタグの堂々とした健在振りにテーラーの悪びれていない様子を感じるのは気のせいだと思いたいです・・・。

 次の投稿が掲載されると「作家見習い」16年目になります。引き続きどうぞご贔屓に。


追記:
1. 前作『紐育者(ニューヨーカー)』、香港でワイシャツを仕立てた話『旅先でお仕立て・1』、ペニンシュラのThe Barを訪れた『Barにて・5』を未読の方は是非合わせてご笑覧ください。

2.「みんなのストーリー」に掲載していただいたストーリーをnoteでも展開しています。以下URLよりご笑覧ください。追記1で触れたストーリーもご笑覧いただけます。読書記録もそこに載せています。
https://note.com/nostorynolife/




「おとなの青春旅行」講談社現代新書
「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿