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ちょうど良い距離感のノート

ちょうど良い距離感のノート

2017/10:STORY
systa

私が初めてトラベラーズノートに出会った時、「こんなに自由な手帳があったのか」と驚いた。

私はその頃、メモを取ったり日記をつけたりする習慣が無い人間だった。何しろ続かない。
と言うのも、進級だったかの折に叔父から貰い受けた手帳が、使いづらくて仕方なかったのだ。大きな文字を書いてしまう癖のある私には、その小さく上品な手帳はとにかく合わなかった。真ん中のリングも邪魔だった。
そんな訳でそのノートは死蔵していたし、「手帳」という物に良いイメージがないまま暮らしていた。
しばらくして、私はそんな手帳を持っていたことも忘れていった(叔父さんごめん)

ところが。
暑い時期だったと思う。渋谷に遊びに行っていた私がこのノートに出会ったのは。
どこかのお店の店内、小さなガラス張りのショーウィンドウに飾ってあったのが、このノートだった。
本革の表紙と、簡素なバンド。傍らには、「中に入るのはこれです」と言うように並べられたノート達。
無骨な、機能重視のその装丁につい目が行って、友達と一緒に眺めていた。
しばらく「これはいいな」という主旨のことを話したと思う。しかし私は購入しなかった。お金がなかったから、値段に二の足を踏んでしまったのだ。(その頃、とても貧乏だったので)
少し惜しい気持ちで、その場所を離れたのを覚えている。

さて、その場は諦めたからいいものの帰り道、私はずっとトラベラーズノートの事を考えていた。
懸念していた大きさも、レギュラーサイズならちょうど良さそうだ。なんたって機能性がいい。メモも日記も筆箱もこれ1つで事足りる。
更にネットで検索して、素敵なカスタマイズの写真をたくさん見ていくうちに、その自由な使い道にすっかり魅力されてしまっていた。
かくして私は、冒頭の驚きとときめきと共に、購入に踏み切ったのである。「一生物になるし」という、魔法の呪文を唱えながら。



届いてからはもう夢中だった。
手触りも重さも、存在感もとても気に入った。
私の「使いたくなる」ノートだった。

中はセクションタイプのノートが三冊。
それぞれ「1:メモ・ノート」「2:日記」「3:映画記録用」と分けている。
それからジッパーケース。

日記をセクションタイプにしたのは、私が三日坊主なタチだからだった。
普通の日記タイプでは、おそらく一日分が大きくて書く量に疲れてしまうだろう。ウィークリーでは逆に一日分が小さすぎる。どちらも、一日でも抜けてしまったら、その抜けが気になってしまって私は書くのが嫌になるだろうと踏んでの事だった。
映画記録用も同様、映画の情報など書くトピックは決めているものの、一つの映画ごとのセクションの大きさは決めていない。
どちらも、私の気分で自由に書けないと続かない。
ノート達の表紙は、気に入ったシール等を貼って遊んでいる。
ジッパーケースは思い出の写真を挟んだり、クリップ留めとして、また、筆箱として消しゴムや定規、替芯、ボールペンなどが入っている。



装丁に関しては、忘れきっていたトカゲの皮の手帳が生きた。
装丁を色々カスタマイズしていた時、その手帳が思い出され「どうせなら、持ち歩くことのできなかった、コイツの思いも果たしてやろう」と思い立ったのである。おそらく高かったであろうその手帳を、自らハサミで分解しトカゲの皮をボンドで貼り付けるという、その道に詳しい人が怒りそうな強引さで、表紙に貼り付けた。
普段用に使用していた万年筆とシャープペンシルを手帳用に買ったベルトに挟んで、背表紙には私の家紋ストラップを付けた。



今では日記もなんとか(時々抜ける日があるものの)続いているし、映画記録用も書けている。
手帳というものを持たなかった私が、常にこのノートを携帯する様になった。

とにかく私は、このノートに自分と合ったちょうどいい距離感で付き合って行きたかった。
そして、手帳としてこれだけ持っていけばとりあえず、書き物はなんでもできるようにしたかった。
「お気に入りの手帳で、もうずっと使っているの」と思い出を重ねつつ、自信を持って言えるような手帳にしたかった。
その思いは、今まさに果たされている。
このノートは私なりの使い方に寄り添って、許してくれるのだ。

日にちも詳しい購入日も忘れてしまったが、おそらくもうすぐ一年。
あの時一緒に見ていた友達も同じ時期に購入し、トラベラーズノート仲間として、この手帳を楽しんでいる。

だいぶ味が出てきた(と思いたい)このトラベラーズノートを、まだまだこれからもずっと使って行きたい。たくさんの思い出を詰め込んで、見た時に「あんなこともあったなぁ」と思える様な私だけのトラベラーズノートにしたい。

一生物だと思ったあの時の感覚は、おそらく正しかったのだと、今も思う。

2017,09,01 「だいたい一周年」の記念に