

『泊まるなら・・・(1)』
旅先が決まると、次に吟味し始めるのは宿泊先だ。決め手となるのは、ロケーションと宿泊代金だろうか。私の場合、宿泊したくなるのは、その都市のランドマーク的な建物であり、歴史と誇りを兼ね備えた、古き良き時代の香りを現在でも多少なりとも保っているホテルだ。先ずその手のホテルを当たる。ロケーションはほぼ間違いないが、ほとんどの場合、その宿泊代金で断念させられてしまう。
世界中にその種のホテルはたくさんあるが、身近なところでは、香港のペニンシュラ、シンガポールのラッフルズ、バンコクのマンダリン・オリエンタル、台北のグランドホテル・・・といったところだろうか。この中には実際に宿泊したところもあれば、お茶や食事をしただけで、いつかは実際に宿泊してみようと思い続けているところもある。
外観と内部のギャップが大きくて、一度訪れてお茶を飲んだだけで十分と思ったところもある。仕事で数回訪れたフィリピンのマニラでは、あのマニラホテルに数回宿泊したことがあった。フィリピン自体自ら望んで休暇で訪れようとは思わないところであり、仕事でもあまり行きたいとは思わなかったところだったので、マニラホテルに滞在しことは、このストーリーを書き始めるまですっかり忘れていた。
2009年4月に初めてベトナムのホーチミンへ行ったときも、その時のトラベラーズノートを見てみると、計画を立てている段階で真っ先にマジェスティックを選んでいた。外観がどことなくコロニアル調で威厳があるところが、私のようなホテル好きにはグッと来たのだ。このマジェスティックが登場する開高健の「輝ける闇」と「ベトナム戦記」を読んだのは、1925年創業でサイゴン川沿いにあるこのホテルに泊まった後だった。国内外のVIPも多数宿泊したそうで、開高氏の他にも、我が国皇室の秋篠宮様、フランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴ等、錚々たる顔ぶれがホテル内のビジネスセンターで入手した立派なパンフレットに載っていた。
結構上質な紙で作られていたパンフレット。錚々たるお名前がズラリ(写真右)
カトリーヌ・ドヌーヴさんだけ何故か単独で1ページ(笑)。
部屋はもちろん清潔で、ここ何年かで宿泊した部屋の中では最も天井が高く、心地良かった。
備え付けの電話がこれまたクラシックなダイヤル式なのが嬉しかった。
電話は日本でも昔は普通に使われていたダイヤル式でした。もちろんダイヤルが元に戻らないと次の番号を回せません。普段使っているプッシュ式が忙しなく感じられます。旅先でダイヤル式の電話・・・、日常とは異なるリズムを演出してくれて、旅に出ていることを実感させてくれます。
一日の始まりである朝食は滞在中全てこのホテル内で取った。旅先によっては絶対にしないのだが、宿泊費に朝食が含まれていて、せっかくなので話の種に一回だけもと思ったところ、メニューが豊富でとても美味しかったのだ。よくある“朝食付き”のレベルを遥かに凌ぐものであった。このレベルなら、欧米から来た人達も、アジアの食事を楽しみつつ、普段から食べ慣れているものまで美味しく食べられると思った。
席は常にテラス席で、サイゴン川がよく見えた。暑くなり始める前に食事を始めたので、比較的快適だった。
洋食はこんな感じです。もちろん卵は専属のコックさんがいて、目玉焼きでもオムレツでも好きなように調理してくれます。私はスクランブルが好き(笑)。
さすがベトナム。フォーも日替わりでした。
中華もありました。飲茶とお粥です。
食べたものの写真から、ランチョンマット代わりに敷いてある紙(ライナー)をご覧いただけるだろうか。これはホテルの外観の写真を年代毎に並べたものだった。これは額装する方がいたとしても決して可笑しくないレベルのものなので、贅沢な“使い捨て”だと思った。
ランチョンマット代わりに敷いてあったライナー。とても目を惹いたので綺麗なものを貰ってきました。ホテル好きの友人のお土産の一つとしても使いました。
初めて訪れたベトナムはとても暑く、ホテルのラウンジをよく利用した。
ラウンジと呼ばれているが、実際はロビーに面したコーヒーショップで、ベトナムコーヒー、ジンジャーエール、ビール等を飲んだ。しかし、ラウンジと呼んでいるだけあって、一般的にコーヒーショップと呼ばれている場所よりはゆったり出来た。
本場でベトナムコーヒーをいただきました。とても甘かったです(笑)。
コースターが最近では見ないほど厚みがあってしっかりしたものだった。
部屋に置いてあるグラスの下に敷いてあるコースターも同様だった。
ラウンジにあったコースター(写真左)と部屋のグラスに下に敷いてあったもの(写真右)。
余分に入手しなかったので、この旅のトラベラーズノートから。紙質と厚みが伝わりますか?
部屋に備え付けのディレクトリとともに置かれている、レターヘッド、封筒、絵葉書も使うには勿体ないほどのデザインと品質だった。
レターヘッドと絵葉書(写真左)。絵葉書を拡大(写真右)。
封筒は切手のデコレーションは無く、レターヘッドと同じくホテルロゴが入ったものでした。
ビジネスセンターで売っていた絵葉書も高品質で年代毎のホテルの外観をセピア調に仕上げたものだった。
世界中どこでも、宿泊したホテルでは必ずベルデスクに願って入手する、今ではほとんどのホテルではその用意が無くなってしまったバゲージラベル/ホテルステッカーも、ここ何年かで入手したものの中では秀逸であった。
ビジネスセンターで買った絵葉書。“SINCE 1925” の下の写真がそれぞれ1枚ずつ絵葉書になっています。
切手をモチーフにしたと思われるステッカー。消印の日付はホテルが創立した日なのでしょう。
とてもいいセンスをしています。レターヘッドの左上にもこの絵がプリントされています。
この旅に同行したスーツケースにも一枚貼ってあります。
洗練されたサービスはもちろんであるが、ホテルが独自に用意しているこのような数々のものも楽しめて、思い出として入手できる楽しみや可能性があるから、歴史があるホテルが好きだ。
年齢的にも、旅先で早朝から時間に追われるように観光スポットを次々と走り回るように観て回る歳ではなくなった。旅のスタイルは旅人それぞれであるが、これからは、滞在そのものと、そのホテルの歴史を楽しめるようなホテルに滞在しながら、ゆっくりとその旅先とホテルを楽しむような旅を重ねていきたいとここ数年思っている。
70歳になったときに足腰がまだまだ丈夫だったらシンガポールに行ってラッフルズに泊めると、母と10年以上前に約束し、母が楽々とその条件をクリアしてから少々時間が経ってしまった。これは近々果たさなければならないことだ。次にこのマジェスティックのような歴史のあるホテルに宿泊する先はラッフルズが最有力だ。
これは宿泊代金を理由に決して断念はできないのである・・・。