

Starr
今日、人生で初めて、ビートルズだった人の声を、生で、目の前で聴いた。
ビートルズで唯一、ジョン・レノンと同じ歳の男。
名前はリンゴ・スター。
現在、ビートルズで存命しているのは、ベースのポール・マッカートニーと、
ドラムのリンゴ・スターのふたりだ。
ジョン・レノンは自分の生まれる3年前、ジョージ・ハリスンは高校を卒業した年に、それぞれ若くして亡くなった。
僕がビートルズを聴き始めたのは13歳。
売れ線をまとめたアルバム、赤盤・青盤を借りてきて、カセットテープで聴いた。
高校に入ると、不思議な男が自分の隣の席になった。一年の内、1/3を遅刻し、1/3を早退、1/4を欠席した。それでも彼は単位を取り卒業した。
僕にとって、彼の存在が本当のビートルズの始まりだった。
彼とは、ありとあらゆる話をした。
文学、芸術、映画、スポーツ、人物、歴史、建築、旅、将来のこと。
中でも熱く話したのは、音楽、とりわけビートルズのことだった。
彼の家には、東西様々なジャンル・アーティストのレコードがあった。
なかでも、ビートルズ関連のポスターや楽譜、レコードは至る所に溢れていた。
僕は暇を見つけては彼の家に行き、書籍を眺めたり、ミュージックビデオを見たりして、子どもが牛乳を飲むように吸収していった。
彼はギターがすこぶる上手かった。
213曲もあるビートルズの作品の中で、彼が弾けないものはなかった。
コーヒーを飲みながら"Blackbird"をヤマハのアコースティックギターで一人爪弾き、夜遅く"Get Back"をエピフォン・カジノで一緒にセッションしたりした。
彼にとってビートルズこそが人生で、僕にとってビートルズはジョンでもポールでもなく、彼だった。
それくらい、彼はビートルズを体現していた。
2002年の冬、僕は生死の境を体験した。
車で彼の家に向かう途中、まもなく着くという安心感からか、氷の張った道でスリップしガードレールに直撃した。
白いクラウンは見事に大破し、レッカーで運ばれ二度と乗ることはできなかった。
あとほんの少し進んで突っ込んでいたら、高さ15m程の橋から落下していた。
しかし、僕は無傷だった。
その状況を見た彼も彼の父も唖然としていた。
その日はジョン・レノンの命日だった。
オノ・ヨーコ主催で開かれるチャリティライブに行くため、彼と待ち合わせていた。
僕は何事もなかったかのようにライブ会場に行き、坂本龍一や大貫妙子、オノ・ヨーコらの演奏を堪能した。
そして、素晴らしい曲を残したジョンに、改めて深く感謝をした。
あれから11年。
あの頃と同じように、僕は彼と共にビートルズを聴いた。
CDでもレコードでも散々聴いてきたけど、ライブは別物だった。
言葉では語ることができない何かを、僕らの中に生んだ。
2013年の冬、72歳のリンゴ・スターは、
あの頃と変わらずリンゴ・スターだった。
ライブ後に行った下北沢のビートルズバーでは、マスターが気を利かせてリンゴの曲をかけてくれた。
ジョージの誕生日だった今日は、素晴らしい夜になった。
■Ringo Starr/リンゴ・スター
・本名
:Richard Starkey/リチャード・スターキー
・出世
:1940年7月7日 英国リヴァプール生まれ
・来歴
:ビートルズのドラマー
・愛機
:REMO > Whather King
:Ludwig > Downbeat,Super Classic