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『2012.5.21』

『2012.5.21』

2012/08:STORY
うずしお


『2012.5.21』

■06:12:02
 食開始。朝食ではなく、日食である。右上から徐々に丸い陰が覆い被さってくるその様子は、初めて見るはずなのになぜか懐かしい感覚がしたのは、開き損ないの切符の穴に似ていたからだろうか。
 テレビでは誤解生じる「金環日食の始まりまで あと○分○秒」テロップ。食はすでに始まっているため、正確には「食の最大まで」である。


■月見草
 昨年12月には皆既月食があったものの、ここまでの騒ぎにはならなかった。文化圏によっては、新興宗教が横行しかねないほどの日食という一大事。肉眼でも観測可能な上、多忙な朝よりも観測しやすかったはずの月食の立場はない。元野球監督の某氏の気持ちが忍ばれる。
 次回は300年後。もちろんそれも見届けるほどの前屈みで挑んだ今回の一件。実は小学生の頃から楽しみにしていた大イベントなのである。当時流行っていた映画にならい、25年後にタイムトラベルしたいと思っていたあの頃の自分が、太陽のように眩しすぎる。


■カミュ
 当たり前のことだが、どこに行こうとも太陽は一つなのだ。テレビの中ではタイムトラベルならぬリアルトラベル。雲の多さを懸念した東京から脱出する人の様子や、金環日食帯を中心とした全国からの中継が流れていた。東京在住の自分もなかったわけではない、金環日食旅行。しかしなぜか見られる自信があった。そしてまた、「それって『蜘蛛の糸』なのでは?」という思いが浮かんだのだ。もしくは山、あるいは恋?追えば追うほど遠ざかるような感じがしていた。
 観測場所と同時に課題となっていた観測方法。ピンホール写真と同じ原理で、テレホンカードのパンチングような小さな穴を利用して、間接的に日食を観察するという方法がよく紹介されていた。『ドラゴンクエスト』暴動ならぬ日食グラス暴動を懸念して、気を逸らす作戦だろうか。つまり、直視回避忠告である。従って、絶対に公表されないであろう「残像太陽」法を思いついてしまったが、墓場まで持って行く覚悟だ。おそらくそれは、毎年真夏の太陽をフレームインする写真を球場で撮り続けている経験から生まれたものであり、やはりファインダー越しの3ヶ月間を改めようと反省した思いからであろう。


■ワイドなショー
 かつて某サスペンス番組をそのタイトルからワイドショーと思いこみ、毛嫌いしていた過去を持つ。「あと30分ですってー」マスコミよりマスコミな、近所の声高マダム&ロマンスグレーの皆さまが井戸なしで井戸端会議。右耳イヤホン・ワンセグ放送片手に日食グラスで生観測中、テレビ情報が人を介して左耳から逆輸入されるという、浸りきれないノーロマンスな一幕。日食グラスの世界に入り込み、まさにトリップ、心の旅に出ていたうずしおは一気に現実へと引き戻される。掻き消された雰囲気を取り戻そうと、ワンセグ視聴から流れる某アイドルの歌声に耳を傾ける。わずかに期待していた月食の存在証明『夜空の...』などという粋な選曲ではなく、普通に新曲で少し残念だった。


■購読歴25年
 連続装用7時間可能な日食グラスで観測。実際ご覧になった方には共感してもらえると思うが、太陽以外は真っ暗なのである。それほどまでに太陽光が強烈であるということを改めて知らされるのと同時に、自分の人生の展望ではないことを切に願ってしまったのはうずしおだけだろうか。

 着々と迫る金環日食最大食の時間。テレビの中の盛り上がり度も確実に上昇していく。高ぶる感情から多少の失言もやむを得ないと思いつつも、どうしても聞き流せなかったのが「こちら群馬でも、日食は順調に進んでいます!」。CM中はストップか? 進んでいなければ天変地異だろう!?
 …などと心の中でツッコんでいると、今度は「金環日食結婚式」と銘打ったフェリーでの挙式の様子が。船上にはあいにくの曇。まさに雲行き怪しい人生の船出では? と、成田どころか港までその契りがもつかどうか心配になり、より一層リアリストになりかけていた頃、とうとうその時が訪れた。


■07:34:30
 2011.03.11 あの日からうつむきがちだった日本が、ようやく顔を上げたようだった。
 137年ぶりの金環日食。月に遮られた空気は熱を奪われ、頬を撫でるひややかな風。

 「嗚呼、これが金環日食か…」

 その瞬間を見届けた例のマダム・ロマンスグレー町内会幹部たちは早々に解散し、再びトリップ、心の旅。感慨に耽っていると、ワンセグイヤホンから今度はこんな言葉が。「いやー、今年一番の興奮でした」。...137年ぶりですから。


■07:38:20
 ベイリービーズという状態を経て、月が左下へ抜け初めたその姿は鋭利なランドルト環(視力検査の環)のようであり、魔法使いが出てくる漫画で描かれる月のようだった。あれは月ではなく太陽だったのだろうか。すると焼きたてパンの香りが鼻をかすめた。ようやく平静を取り戻し、嗅覚がようやく機能したようだった。それほどまでに集中していたのだ。
 心の中といえど、あれだけ茶化したテレビに映された涙を流すキャスターの姿に共感した。しかし最後に一つ加えるならば、日食サングラスの着用と同時に、日食戸締まりの推奨もするべきだったのではないだろうか? 日食強盗とか...などと心配していたのだが、それは杞憂に終わり、まだまだ安全な日本に安堵した。日傘で遮られ、嫌われ者となる季節直前の、日本中から羨望を注がれた天網恢々疎にして漏らさずな一日。



 旅路(時)は当然のこと、こういったイベント時も必須のトラベラーズノート。そう遠くはない月面旅行ができるその時は、無重力でも筆記可能なボールペンとトラベラーズノートを持参しよう! ペンとノートのリフィルは12冊で足りるだろうか? そんな心配を真剣にしてしまった。