TRAVELER'S notebook Users Posts(2007-2023)
消えたコミュニケーション

消えたコミュニケーション

2012/06:STORY
HIRO


ボクは圧倒的に車で出かけることが多いのだが、ちょっと思うことがある。

地図が好きな事は前回書いた。

その事について。
何処か知らない土地へ出かけるときに必ず持って行った地図。
高速道路のSAでもらえる1枚ものの地図やら、全国版の地図は車に常備している。
途中で車を停めてボンネットの上に地図を広げ
「ここを通ってここまで行ってみよう」
なんて友人と話しながら行先を決める。これが実に楽しい。

今から十数年前、ボクの記憶が確かなら
「カーナビゲーション」
なるものを自分の車に搭載したのは'94の事。実に便利だった。
知らない土地でも横道に逸れる勇気を与えてくれた。
当時はナビが普及し始めたころで、CDナビであった。
車の動きに合わせて地図が動くなんて、(すごいこと)だったのだ。
行先を入力すれば、どこを曲がれとか、あと何メートルで目的地に到着するとか、機械が教えてくれる。そして
「目的地周辺です。案内を終了します」
なんて言って、まだ着いてないのに勝手に終わっちゃったり、道を走っているのに画面上は海の中を走っていたり、冷たいナビだった。(ある意味すごい機能だった?)
ナビ登場以前も「どっち方向に進むか?」を矢印で教えてくれる機能がある車もあった。

今ではすっかり「当たり前装備」になったナビ。
ボクの車にはポータブルタイプを搭載しているが、あまり使わない。
でも決して(いらない装備)ではない。

かつては「ないのが普通」で「とても買えない」装備だった。
でも道がわからなければ、道を訊くついでにジュースやガムを買いに店に入った。
「ここに行きたいのだけれど、どっちに行けばいいですか?」
なんて店の人に聞いたりしていた。
(道は星に訊け)
っていうフレーズのカーコンポのCMがあったが、そういう(アナログな感じ)が好きだった。
そこには(人と人とのコミュニケーション)があったからだ。
道を訊きながら、商店のおばちゃんが
「お兄ちゃん、どこから来たの?」
なんていう会話があり、
「気を付けてね」
なんて言いながらちょっとまけてくれたりしてね。

ところが(当たり前装備)になった今では、人に道を尋ねるという事をほとんどしなくなった。わざわざ訊く必要がないのだ。
「どこから来たの?」
なんて訊かれたところで
「そんなのどこだっていいじゃん、アンタにゃ関係ないだろ」
なんて言われるのがオチである。
これはとても寂しいことだと思う。

ナビゲーションの登場によって、一つのコミュニケーションは確実に消えたのである。
今のナビはHDDやFlash SSDになり、もう(パソコン)の域か、それ以上にある。
(ナビコン)と言う名前でアコードに搭載されたのが1980年代初頭、
そこから30年ほど経って凄い進化を遂げた。

しかし
「便利は不便」
という事もある。

迷ったら違う道を進めばいいし、人に道を訊けばいい。
そして間違えた道を走っていて、偶然に見つけた店に入って、その店が気に入ったりすると何だか得した気分になる。
道を間違えるのも悪いばかりじゃない。
そういう事もドライブの一つだと思う。
ナビに従って運転すると、そういう事はまずない。


そして「旅をする」という行動にはコミュニケーションは不可欠だ。
(コミュニケーションのない旅はない)と思う。何らかのコミュニケーションはとるはずだ。
それも旅のひとつであり、楽しみでもある。
外国に行けば、言葉がわからなくても、身振り手振りで相手に必死で伝えようとする。
相手は理解しようと努力してくれる。
こちらが言いたいことを、言葉がわからなくても伝わった時にはとても嬉しいものだ。

ところが国内だと人に道を尋ねると、すごく怪訝な顔をされたり、(話しかけないでくれ!)と言わんばかりの雰囲気だったり...

こんなところでも、コミュニケーションがなくなっていくのは、やっぱり寂しいなあ。