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『お宅訪問』

『お宅訪問』

2011/12:STORY
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 ハロウィーンが終わると間もなく、街ではクリスマスの飾り付けが徐々に始まり、店々にはクリスマス商品が並び始める。これから11月なのに、年末に向けて物凄く強い力で背中を押され、走らされている気持ちになる。海の向こうのアメリカでも感謝祭が終わると、多くの家庭でクリスマスデコレーションの支度を始めるのではないだろうか。アメリカを相手に仕事をしていると、”Happy Holidays” という挨拶が交わされる期間は、メールの返事等は芳しくない。
 航空会社に勤めていた頃、本社のあるミネソタへ出張した一日、僕のストーリーに度々登場するリチャードが夕食に自宅へ招いてくれた。空港近くの職場からリチャードの運転でリチャード宅へ向かった。その時は丁度12月だったので、車が住宅地へ入って行くと、家の周りを豆電球などのクリスマスデコレーションで飾っている家々ばかりで、まるでお祭りの出店のような明るさだった。外は氷点下で日も暮れていて、少しだけ吹雪いていたので、外に出ている人は一人も見なかった。しかし、家々のその明るさだけで、とても賑やかな感じがした。それぞれのお家が、明る過ぎない程の明るさで飾っているので、その賑やかな明るさには温かみが感じられた。
 家に着くと、リチャードは奥様のブレンダさんと、娘のヘイリーちゃんを紹介してくれた。初対面とは思えない感じがしたのは、リチャードと顔を合わせる度にお二人の話をよく聴かされていたからかもしれない。
 食事の前に、家の中を案内してくれた。家に人を招いた時は、家の中を案内する習慣がアメリカにはあると教えてくれたのは、亡き父だった。今もニューヨークに住んでいる従姉が婚約者のアメリカ人を当時の我が家に初めて連れてきた時に、父がその婚約者のケンに家を案内して回っていたのを思い出した。
 リチャードの家はゆったりとして奥行きのある家だった。旅先で買い集めたというお面が壁に飾られている部屋が印象的だった。アジアで買い集めたものだけを飾っている部屋も見せてくれて、その部屋を「アジアルーム」と呼んでいるのだと、リチャードが誇らしげに言ったのを今でも覚えている。
 食事はリチャードの出身地テネシーの伝統的な料理を振舞ってくれた。牛肉を細く切って、甘辛く煮込んだものが実に美味しかった。これは今でもたまに思い出して食べたいと思う。飲み物は、バドワイザーか、クアーズを飲ませてくれたのを覚えている。ミラー・ライトだったかもしれない。これぞアメリカのビールというビールだったのは間違いない。
 食事をしながらふと我に返り、自分はアメリカに居て、英語しか通じないアメリカ人のお家で食事をしているのを認識した。この感覚は大学2年の時にイギリスでホームステイをした時に経験した感覚だと思った。自分は外国に居るのだと感じられた、旅人としての自分には、心地よい一時だった。
 楽しかった一時が終わり、ホテルまでリチャードに車で送って貰う道中、普段は暗くて見えないであろう家々が、クリスマスデコレーションではっきり見える景色を見ながら、リチャードに見せてもらった数々の部屋のことを思い返した。帰ったら友人達をいつでも招くことが出来るように自宅を掃除しようと思った。10数年前に建てた現在の自宅には、フローリングのリビングの中に、フローリングの床より15センチ床が高い6畳間を作って、その6畳間の中央を掘り炬燵にした。掘り炬燵ならば、外国から友人が冬に来ても、椅子に腰掛けるように炬燵を楽しんでもらえると思ったからだ。それから、冬以外は掘り炬燵がテーブル代わりになり、胡坐等足の置き場に困ることなく和室を楽しめるということも考慮した。これを書きながら、ああ、掃除しなきゃと改めて思った。年の瀬が見え始めている今日この頃だから余計そう思うのかもしれない。
 一日別の機会にミネソタへ出張した時には、当時アメリカで最大のショッピングモールといわれたモール・オブ・アメリカに母を案内したくて、母を同行させた。
 当時の社風はそういうことが全世界的に当たり前であった。その時もリチャードは母に典型的なアメリカのお家を見せたいと張り切り、我々親子を夕食に招待してくれた。2泊4日の旅程では、買い物好きの母にとってモール・オブ・アメリカはいくら時間があっても足りないところだったので、心苦しくも遠慮させて貰った。
 このストーリーに取り掛かった11月の初旬にリチャードからメールが届いた。近々ミネソタからテネシーへ引っ越すと書いてあった。リチャードは僕が会社を辞めて数年後にその会社を辞めて転職をした。冬の厳しいミネソタにはいつまでもいないだろうなと思っていたので、そんなに驚くことはなかった。あの素敵なお家はこの夏に売れたそうだ。家を訪ねた時はまだ小学生で、ミネソタへ行く度にポッキーのお土産を喜んでくれたヘイリーちゃんは、今はテネシーの大学に通っているそうだ。お土産に持って行ったポッキーのお礼に何度も書いてくれた手紙は今でも持っている。詳しいことは書いていなかったが、娘が自分の故郷であるテネシーの大学に通っていることだし、このテネシーへの引越しで、リチャードは悠々自適な生活に入るのかもしれない。
 引越しの知らせのメールを貰った時、僕も丁度今の生活環境を変えようと、本格的に考え始め、実行するところだった。何だか偶然が重なった気がした。
 テネシーには僕の好きなジャック・ダニエルズの工場があった筈だ。見学できるのだろうか。リチャードのお家で食べさせてもらったあのテネシー風の肉料理を、ジャック・ダニエルズを飲みながら楽しみたいと思った。リチャードとの久々の再会は、僕が訪ねていくテネシーなのか、それとも、リチャードが家族でやってくるアジアのどこかだろうか。
 我が家に来るのなら、リチャードが大好きな、餃子、枝豆、焼きおにぎり、それにサッポロビールを用意しておこう。あっ、その前に掃除をしなくては・・・。