

ミッドナイト・ハイク 2
やがて道は長い上り坂に差し掛かり、右手にうっそうとした木々に囲まれたお屋敷が現れた。
ここが旧吉田邸。あのバカヤロー解散、終戦当時の日本を植民地化から守り、邸宅から国会登庁用に国道246号を一直線に通したと云われるドンの住処なのだ。お屋敷自体はすでに保存建物となっているらしいが、先ごろ漏電火災で焼けたらしい。私はいつかの深夜のニュースで知ったまでだが、今その脇を通過してみると葉巻をくわえたドンの姿に246号もいいが、せめて東海道線のダイヤ、しかも、上り方面の終電ももう1時間延ばすくらいできたろうになどとつぶやきたくもなる。まあ、サラリーマンが深夜に散策するような史跡ではないだろう。いや、わざわざ徒歩で引き返す道すがら、こんな今流行りのパワースポットまがいの史跡はそぐわない。そう、馴染まないという表現のほうが妥当と改めたりして通過するのだ。
なぜならば、私はよく理解しているからなのだ。同じ人間、同じ男として、有事の日本を背負った仕事を残した人物と、その住処の沿道をいくら不本意とはいえ夜中にトボトボ登るだけの人物。タバコ一本の休憩と、何万光年という壮大な大宇宙の歴史を比べるような、スケールも桁もまったく違う営みを体感するだけなのだ。
吉田茂、あんたに恨みは何もない。それどころか、偉業には頭が下がる。上り坂がきつくなったせいか、頭の下げ具合もさらに素直になっているのだから・・・。
そんなことを思っているうちに、坂道は終了した様子だ。それでもまだ道半ば。吉田邸ということは、しばらくで大磯という駅らしい。
道は平坦になり、一路大磯という駅に向かって歩くと、今度は『さざれ石』という案内板が現れたりするのである。
『さざれ石』。何年かぶりに耳にした単語をたどると君が代のワンフレーズ。そんなにこの東海道のエリアは国歌と供に君臨するような代表的な土地柄なのだろうか?。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて
鱗の生すまで
こゆるぎの浜は 『さざれ石』 の地名にも残る砂礫の美しい海岸で、さざれ石が採れます。日本国歌の「君が代」で有名なさざれ石ですが、大磯のさざれ石は大磯海岸一帯で産出する目の揃った玉砂利のことを言います。さまざまな色をしていることから後年さざれ石と呼ばれるようになりました。
目の細かく黒い玉砂利は「大磯」と称され好まれました。さざれ石の名前の由来は、大磯の海水浴場を開いた海軍医「松本順」が、茶会の席で大磯の玉砂利を模した変わった形のお菓子をたいへん気に入り、そのお菓子に「さざれ石」と名づけたといわれています。
ちなみに国歌『「君が代』に詠まれているさざれ石(細石)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日地区笹又の伊吹山東麓とされています。
これは後日調べた事実であって、ただ私は何年かぶりに思い浮かべる『君が代』を頭にいよいよ冷え込んできたことを体感し、通り沿いの自販機で缶コーヒーで暖を取りながら一服した記憶だけである。
赤い缶コーヒーであった。飲み終えた頃、松の大木が立ち並ぶ沿道でたまたま見付けた消火器のボックスの赤色と同じなのに気付いた。。そこで私は飲み終えた缶をボックスの上に丁寧に置いておいたので記憶している。悪意などもうとう無い。多分、私はいよいよ無駄にしては長すぎる道のりに、無意識に何らかのモニュメントを残しておきたいと思ったのだろう。案の定、後日、偶然この道を車で通過するチャンスがあり、いまだに消火器の上に置かれていることに多少の感慨を持ったのだ。私だけが知るモニュメントの中には、国歌を思い浮かべながら一服したハイライトの吸い刺しが安置されているはずなのだ。
チラリ、時計をながめた。
すでに歩き始めて1時間半近く。行程は半分を越え、いよいよ午前2時近く、国道を歩く姿は私だけ、車の往来もなくなってしまった。
大磯という町に入ったころ、ふたたび後方から近づいてくるエンジン音に身構えた。また、『平塚自交』の「天城越え」ではないだろうか。すると見慣れぬツートンに塗り分けられた車両が急にスピードを落とした。オレンジ色の赤外線街路灯で気付かなかったが、その塗装は白と黒で、舐めるような低速は本官が職務質問の執行の判断をしている「間」だと理解した。なるほど私の行動は深夜には密かであるほど奇異に映るらしい。私の行動は非常に目立つのである。とっくに終電も終わり、徒歩で家路をたどる理由を捜しているところだ。私はまた違う意味での「値踏み」に合っているのだ。ここでさらに遠方からすでに2時間近く歩いてとか、原因がたった20分の居眠りと説明したところで、ますます私の所在は底知れぬ怪しさを醸しだすだけで、身に覚えのない言い訳まで用意している。
改めて気付くのは、歩き始めて以来、すでに何軒もの民家の軒先や空き地に無造作に置かれた自転車の姿である。もし、あのいずれか一台にまたがってこの道を移動していたとすると、「犯罪者」として、ポケットのライターからタバコから、カバンのデジカメに入っているかなり意味不明の画像の根拠まで、厄介な尋問とお叱りをいただくことになった事実である。同時に頭をよぎるのはそのまま「本署」まで、うまくすれば平塚警察までは歩かずに移動できるかも知れない希望だったりするのだ。
やがてパトカーは失敬なほど低速で私に同期してみせて、去っていった。
「あんたをマークしているよ。」
「かなり怪しんでいるよ。」
「先に行ってもどこかで見張っているよ・・・。」