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ミッドナイト・ハイク 1

ミッドナイト・ハイク 1

2011/05:STORY
かわうそ

ほんの20分程の間、どうも私は居眠りをしてしまった様子だ.。
目を覚ますと電車が空いている。
窓越しに望む外観に灯りが見えない.。
こんなときに限って電車は帆船のそれのように闇の中を滑らかなクルージングを見せるのだ。
「おやっ?」
既に私は過ちを認めていて、あとはその大きさを想像し始める。
「ひと駅か、ふた駅か・・・」
電車はスムーズにどこかの駅に滑りこみ、とりあえず私はホームに着地した。
「・・・・上り列車は終了しています。乗り過ごさないようご注意・・・」
探すホームの駅名看板はやはり見なれぬ文字。いきなり首筋に感じる師走の冷気に起こされながら私は状況を飲み込み始める。
答えは2駅オーバー。タイムアウトのノーリターン。約17km。
電車で20分程の過ちは、徒歩で3時間、タクシーで7千円オーバーというところだろうか?。正確にはアンカウンタブル。
「嗚呼、ローカル」
「まだ23:40にして路頭に迷う」
「嗚呼、ローカル」
「終電前に脚がない」
「しかしこれが21世紀に入ってもローカルの現実」
こんな時である。中学校の教科書を突然思い出したりするのだ。

 


   山椒魚は悲しんだ。
   「なんたる失策であることか」
   「ああ、神様。あなたは情けないことをなさります。
   たった20分ほど私が居眠りしたために17kmも行き過ぎてしまうとは横暴でございます」

 


私はすべてを把握して見知らぬ駅前ロータリーから歩き始めるのである。


これはできるだけ線路から離れず、国道を忠実に戻るルートが最短だろう。
国道に出ると、私は左右を見比べ正しく左折することにした。空低く木立の間から大きな月が見え隠れしている。月の見える方角に進み始めるのだ。
しばらく行くとバス停が目に入った。その手があったかと、一応時刻表を眺めると、15分前に戻れれば私を苦労なくホームグランドに移動させてくれる手段があった事を理解した。改めて15分だ20分だという時間のズレの巨大さを感じるだけだった。
国道をたどり始めて松の大木が通り過ぎたり、その枝越しに月が見え隠れしたりした。改めて思うのは、ここがその昔「東海道」と呼ばれた街道で、私は毎日平塚という「宿」から江戸は日本橋界隈まで、徒歩で往復することは困難なかなりの距離を通勤していた事実だったりするのだ。
この景色は江戸の時代にタイムスリップしたも同じ気分。振り分け荷物を肩にした旅人が今の私のように江戸方面にたどる動きと一致して見せるのだ。通勤カバンを肩に革靴になっただけの違いで、私はできるだけ上空だけを眺めながら進むのだ。


私には解っていた。
この無駄な逆戻りをなんとか正当化したくて様々な根拠を探し始めている。
私は GO EAST。ただただ国道を歩く。黙々と・・・。背筋を伸ばし、通勤カバンに片手を添えながら・・・

 


                        *
                        *

 


いきなりタクシーが止まった。
私の後方から流してきたのだ。ということはすでに終電が過ぎ、平塚方面からその先までのお客を送ってのリターンと考えられる。
さて、行程はどの辺りまで進んだのか、チラリとながめた腕時計はもう50分程が経過していて、三分の一弱、距離にして5km弱というところだろうか?。
「お客さん、どちらまで帰られるんですか?」
すでに開け放った後部ドアから言った。まだ乗車もしていないのだから、お客はおかしいだろうと思いながら私は歩を止めた。
「平塚です」
私は何もかも見透かされているようで運転手が気に入らない。だからなんだとばかり端的に答えたまでだ。さも当然そうな一言が気になるのだ。ひょっとすると、往路の時点で東へトボトボ歩く私の姿を押さえておいたのかもしれない。ローカルとはこんな具合に煮詰まった世界なのだろう.。すべての答えは、他に手段がないからなのである。
「えっ、これから平塚まで歩かれるんですか?。かなりありますよ」
大体の話の意味はわかった。車体には案の定『平塚自交』などとペイントされていて、どうせこのまま平塚まで空で帰っても一文にもならないから、意地張らずに格安で乗って行けよと云っているらしい。
まるでこれでは今度は「天城越え」ではないか。峠の一本道の往来は、上りも下りも抜け道がないので、同じ方向ならそれぞれの進み具合で、どいつが何分くらい休憩したはずだ。とか、対面からすれ違う男だ女だとかの姿から、また、その時間帯から、次の宿までのおよその距離までが読み取ることができてしまう。
夜の東海道の行き来はまるで煮詰まっている。一本道であるから、電車がなくなってしまうと、どこから来て、どこまで行く。また、どこで追い付き、どこで追い抜ける、こんなすべてが手に取るように解っている。まあ、ひとりひとりの行動がお互いに知れてしまうわけなのだ。


それが証拠に運転手はしばらく口を閉じ、私の反応をうかがっている様子なのだ。「値踏み」という姿勢に入っている。
「いや、まあ、その内には着くだろうからね」
とぼんやり言ってみるが、まだ発車しない。
仕方なく私は
「そうねぇ、出せて2千円ってとこだな」
そう言うと
「お客さん、それでは、お気をつけて行って下さいね」
どことなくいんぎんな物言いに改めて、今度は多少の哀れみの表情なのだ。
「いや、私がいけないんだから、反省しながら歩いていきますよ」
ひと呼吸置いてバタンとドアを閉めて、タクシーは滑らかに遠ざかり、私は見送るでもなくテールランプが見えなくなるまでながめてまた歩き出した。
改めて、受け答えの一部始終を思い起こすと、私は電車を乗り越したことも、その原因がたった20分の居眠りであったことも説明してはいないのである。見事である。わずかな受け答えから推し量り、豊富な経験から淡々と絞り込む。ふるいに掛けられた土砂と同じだ。私はかなり目の細かい網目も通過してしまう土ほこり。その他の変人か、意地っ張りに別けられたものらしい。そんなことを考えながらまた歩き続けるのだ。

 


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