

『遠出・3』
旅に出る切っ掛けは思いがけないタイミングで訪れるものだ。貯まっていたマイレージの失効が迫っているのを知ったのは・・・というより、気付いたのは失効する一ヶ月前だった。国内ならどこへでも行かれるくらい貯まっていた。気付いた時点から一ヶ月以内に休みを取って旅に出るなんて無理だと諦めていた時に、チケットに換えればそのチケットは換えた日から三ヶ月間有効だということを知った。
ちょっと大袈裟だが、目の前が明るくなった気がした。なぜなら、一ヶ月以内に旅先を決めて旅を完結させるのと、一ヶ月かけて旅先を決めるのでは大きな違いだからだ。
さて、どこに行こうか? 旅先は国内に限定される。2002年以来ご無沙汰している、ワールドカップの時に一緒に働いた方々に会いに札幌にしようか? 毎月僕のストーリーを読んではコメントを寄せてくださる方々もその中にいらっしゃるので、きっと楽しい再会になるだろう。チケットが有効な期間は冬真只中だ。寒いところがダメで、東京育ちで雪にも慣れていない僕には真冬の札幌は厳しいと思い、残念ながら今回は札幌を選択肢から外した。寒いところがダメなら温暖な沖縄か?
行ったことがないので面白そうだが、大好きな町歩きに向いているかと思うと疑問だったので、沖縄もパス。こうなると九州のどこかだなということになった。旅は、旅そのものも楽しいが、こうしてああでもないこうでもないと行き先決めたり、スケジュールを立てたりしている時間もまた楽しいものである。
行き先はここ数年結構な頻度で飲むようになった芋焼酎の発祥の地鹿児島に決めた。
日程を決めてフライトの予約をインターネットで入れた。これもインターネットで見つけたのだが、費用もロケーションもいいホテルの予約が完了すると気分が盛り上がってきた。
日程は2泊3日(帰京を予定した日の天気予報が雪だったので結局1泊2日)なので、情報過多になってストレスを溜めてしまわないように、入手し参考にしたのは薄いガイドブック一冊だけにした。
最寄りの駅からバスで羽田空港に着き、機械で自動チェックインを済ませ、手頃な「空弁」を購入してゲートで搭乗の案内を待った。出発の数日前に新燃岳が噴火した影響で宮崎行きのフライトはキャンセルになり、僕が乗る鹿児島行きは満席になった。本を読んだり、弁当を食べたり、「羽田は近くて便利だ」とか「今は預ける手荷物がなければ誰とも口をきかないで飛行機の座席まで行かれるのだな」とか考えているうちに鹿児島に着いてしまった。
事前に調べていた天気予報通り鹿児島はいつ雨が降ってもおかしくないほど曇っていた。一月下旬の鹿児島は東京とは変わらないくらいの寒さだった。南は暖かいというイメージが崩れ去った気がした。ダウンタウン行きのバスに乗る前に「鹿児島空港」と書いてある表示の写真を携帯電話のカメラで撮った。バスの中から見た空港近辺にたくさん植えられているパームツリーも寒さと曇り空のせいか元気なく見えた。さつま揚げの宣伝の大きな写真の中にいる坂上二郎も心なし元気がないように見えた。そんな曇り空の下ではあったが、何故かバスを降りて早く鹿児島そのものの空気をたっぷりと吸ってみたいと思った。旅先でこんな思いをしたのは初めてであった。景色を眺めたり、羽田を発つ前にゲートから携帯電話で撮った駐機している飛行機の写真に「出発」とだけ書いて写メールを送った友人達に「到着」とだけ書いて鹿児島空港の表示を添付して送ったりしている間にバスは鹿児島の繁華街である天文館に着いた。
見慣れない景色を楽しみつつ途中道に迷いながらもホテルに到着した。チェックインを済ませ、ランチタイム終了ギリギリの時間ではあったが、「六白」へ黒豚のとんかつを食べに行った。せっかくの黒豚にお店のソースが口に合わないとがっかりなので醤油を貰ってかけて食べた。ホテルに一度戻ってからガイドブックを片手に桜島へ行った。曇り空に小雨がぱらつく中での桜島行きとなったが、フェリーに乗ることがとても旅を感じさせてくれたので良しとした。船内は香港からマカオへ行くフェリーと作りが似ていたガ、前方がホテルのロビーのようになっていて思わず写真を撮ってしまった。九龍島と香港島を往復しているスターフェリーが懐かしくなった。桜島から戻ってきてからタクシーで「潮音館」というカフェに行った。
ここはガイドブックで見て必ず行ってみようと思ったこところだ。島津家別邸の石蔵を改造したというカフェは静かで居心地が良く、コーヒーも美味しかった。このカフェはまた訪れたいと思った。コーヒーをゆっくり飲みながら、これからの予定を立て直したり、この旅のこれまでを振り返ったりした。
カフェを出て、薩摩料理を一回で楽しめるようにと夕食に「熊襲亭」を訪れた。念願のキビナゴの刺身を芋焼酎とともにいただけて、鹿児島に来ているのだと実感できた。
夕食後東京で何度かお会いしている方を訪ねて行った。これも今回の旅の目的の一つである。その方は鹿児島で「からから」というバーを経営されている石田裕さんである。
友人でプロレスラーのアレクサンダー大塚さんから教えてもらったお店の住所と電話番号を頼りに訪ねた。途中焼鳥屋の呼び込みの女性に道を尋ねたら丁寧に教えてくれたので迷わずに着いた。住所を頼りに目的地を現地の人に聞きながら探す・・・何とも旅らしいなと思った。
ビルの三階にあるそのお店は、ドアを開けるとそこにはおもちゃに埋め尽くされた別世界が広がっていた。バーというよりはコレクター向けのおもちゃ屋さんのようであった。最初は自分が誰だか名乗らずに黙ってビールを飲んでいたが、時間が経つにつれて、「ああ、あの時の」ということになり嬉しい再会になった。通された席の頭上にアレクサンダー大塚さんのサイン色紙が飾ってあったのはただの偶然だろうか。
楽しくて嬉しい気持ちになった時間を過ごし、コロナを数本飲んだ心地よい酔いを感じながら「からから」を後にした。次に目指したのは焼酎バー。ガイドブックやホテルのフロントからの情報と自分の「酒飲みの嗅覚」を頼りに目をつけたところだ。ビルの5階の重厚な扉を開けて入るバー「礎(いしずえ)」は素晴らしいバーだった。東京から来たことを告げ、普段鹿児島の方々が飲んでいて東京では飲めないものをという注文にも、気持ちよく応えてくれた。
蔵元で働いていたというマスターはプロ中のプロで、酒飲みならばこういうお店で飲みたいと思わせる接客振りだった。カウンター席の隣にいつの間にか座っていた常連の方とも、焼酎が進むにつれて昔からの知り合いのように話していた。旅先の雰囲気の良いバーで土地のお酒を飲み土地の方と話す・・・旅はこうこなくてはと思った。
翌朝、空港へ向かうまでの時間を使って、市内を走る路面電車に乗ってみた。路面電車は鹿児島の方々には我々都民にとっての地下鉄と同じようなものなのだろう。車内から徒歩や車に乗っていては気が付かないところが見えて楽しい。車体に広告がペイントされているのものあり、何枚か写真を撮ってしまった。今後国内の旅先を選ぶ際に、路面電車が走っているというのも条件の一つに加えようと思った。特に目的地を決めないでそれぞれの路線に乗って終点まで行って折り返してくるだけでもいい観光になる。これは違う土地でもやってみようと思った。
初めて訪れたところで、土地の食べ物・お酒を楽しみ、天気に恵まれなかったが、景色を楽しみ、嬉しい再会もあり、今回もいい旅になった。路面電車の楽しみを知ったのがトラベラーとしてのこの旅の収穫だったかもしれない。天気に恵まれなかったから、僕を哀れに思った旅の神様が、今まで知らなかった路面電車の楽しさをそっと教えてくれたのかな。
追記:
お世話になった百瀬博教さんが亡くなってもう3年です。
命日の1月27日には生前連れて行っていただいた浅草のフジキッチンさんへ今年も行って、お店の方々と百瀬さんの思い出話をして自分なりに供養しました。
同じ週の1月25日には、百瀬さんと親交のあった作家の川本三郎さんの講演会に行き、初対面でしたが少し百瀬さんのお話をしました。今回のストーリーに書いた鹿児島の石田裕さんとも出会いは百瀬さんのところでした。その石田さんを訪ねたのが1月28日でした。去年同様今年も命日の前後に百瀬さんと縁のある方々との出会いや再会が偶然続きました。4年目に入った僕のストーリーを天国で楽しんでいただいていたら嬉しいです。合掌。